千本ゑんま堂 引接寺(皇紀弐千六百七十六年六月五日 參)

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 以前、橿原神宮で行はれた「神武天皇二千六百年祭」に行つた後、久しぶりに京都まで足を伸ばしました。櫻のシーズンだつたのでかなり混雑してゐました。車もなかつたし、京都駅のコインロッカーも満杯です。う~ん、と考へ、思い切つて觀光タクシーをチャーターすることにしました。

 運転手さんがとても良い人でした。いろいろなことを敎へてもらひました。まずは、櫻の宮と呼ばれる北野天満宮に行きました。次に、玉の輿神社です。
 正式名彌は、紫野今宮神社です。ここは德川五代將軍 綱吉の母が祀られてゐます。桂昌院ですね。家光の側室です。庶民から將軍の母になつたことから、玉の輿神社です。
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 なんか不思議な石もありました。何をしたかは覺へてゐません。

 それよりもここの境内に素晴らしいお店がありました。

 阿ぶり餅 一文字屋和輔です。創業が長保二年です。西暦1,000年です。なんと1016年續いてゐます。商品は、あぶり餅單品。ひとつの商品で、こんなに永く商賣が續くのは驚きです。


 これだけですよ。確かにおいしいのですが。その向ひの店の「かざりや」も四百年續いてゐるさうな。う~ん、京都は奥深い。

 昔、一条院天皇のとき、疫病がはやりました。一時おさまりましたが、長保二年にまたはやり始めました。その時、この神社に参り、やすらい祭を行へば、疫病から逃れられるといふので、たくさんの人がこの神社に訪れました。そして、このあぶり餅を持つて帰り、家人に食べされると、これまた疫病から逃れられるといふので、はやりにはやったさうです。

 その後、千利休がお茶菓子としても使つたとか。

 この家は、血統で三十五代、この店の当主は十九代ださうです。

 さてさて、ゑんま堂につひて書かうと思つたのですが、前置き長くなりすぎました。次囘書きます。

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このページは、宝徳 健が2016年6月 5日 07:31に書いたブログ記事です。

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