フランス革命と保守(皇紀弐千六百七十六年六月十弐日 四)

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 さきほどの、源氏物語がきつかつたので、今日の、ブログはこれで終はりと思つてゐたのですが、このシリーズを前囘書いたのが、六月四日なので、そろそろ書かなきゃと・・・。

 ヴァレン事件のつづきです。

 嘘漫画ベルサイユのばらの主人公は、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェです。女性なのに、男の子して育てられ、准將にまで昇進します。確か近衞兵です。

 そのオスカルが戀をするのがヘルゼンです。ハンス・アクセル・フォン・ヘルゼンです。子供の頃、かういふ名前を正確に全部覺へてゐました。

Hans Axel von Fersen2.jpg

 實在の人物です。マリー・アントワネットの愛人でもあります。スウェーデン人です。スウェーデンの貴族です。
 フランス王家逃亡のための、旅行用馬車、僞造旅券、金子などを用意したのは、なんとマリー・アントワネットの愛人、フェルゼンでした。マリー・アントワネットも厚顔無恥ですね~。

 フェルゼンの働きで亡命の準備は短期間で出來たのですが、ルイ十六世がかたくなに亡命を拒否しました。

 時を同じくして、ローマ教皇のフランス革命への批判、王室の味方であつた、ミラボー伯爵の死去など、王室維持が困難な出來事が續きます。絶對王制の命運が尽きました。

 つひに、ルイ十六世も亡命を決意します。1791年です。

 六月二十日、テュイルリー宮殿を出立し、亡命を實行したルイ十六世の一行は、翌日午後一時にパリ東方200㎞にある街ヴァレンヌにおいて、革命派に捕縛されてしまひました。だから、この亡命事件をヴァレンヌ事件と云ひます。

 ヴァレンヌの旅籠の前で止められた馬車から、埃にまみれた燕尾服を着た男性と、黒いケーブを書掛けた女性が引きだされました。従う僕に變装したルイ十六世と、侍女に變装したマリー・アントワネットでした。役人はすぐに二人を見破りましたが、ヴァレンヌの人たちは、二人があまりにも憔悴してゐたのでs、國王、王妃であることを信じやうとししませんでした。

 六月二十五日、國王一家を乘せた馬車は、パリに戻つてきました。テュイルリー宮殿に戻つたマリー・アントワネットは、泣きました。この時の彼女は三十五歳です。でも、ブロンドに輝いてゐた彼女の髪の毛は、この事件の恐怖から、眞つ白になつてしまつてゐました。

 シャトーブリアンはこの時何をしてゐたのでせうか?

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このページは、宝徳 健が2016年6月12日 09:02に書いたブログ記事です。

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