心晴らし(皇紀弐千六百七十六年六月二十一日)

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 きれいなきれいな季節の日本語を紹介してゐます。

 我が國は、「言霊(ことだま)の幸(さきは)ふ國」です。きれいな言葉を使ふから、みんなが幸せになると云ふ意味です。今日紹介するのは「心晴らし(こころばらし)」です。
 梅雨になりました。昨日も申し上げましたが、紫陽花がたまらなく美しい季節です。どこに行つても紫陽花が觀られます。我が國は、梅雨も美しい。

 でも、雨降りはなんとなく氣が落ちることもあります。

 子供の頃は、今のやうなゲーム等ありませんでしたしITもなかつたので、外遊びが主流でした。ですから雨が降ると、まう退屈で退屈で仕方がありませんでした。

 そんな事を考へると、天氣は、空にだけではなく、人間の心にもあるのかなあと思つてしまひます。

 梅雨の束の間、カラつと晴れた日なんかは本當に氣持ちが云ひですね。そんな心を晴れ晴れさせることを「心晴らし」と云ひます。雨が降つてゐても美しい紫陽花に出逢つたときなどはさうですね。

 鬼平犯科帳などを讀んでゐると、平蔵の奥さんの、ひさえさんがお客様に「さあさあ、氣散じで冷たいのを一杯どうぞ」なんて表現が出てきます。氣散じもニュアンスは少し違ひますが、心晴らしと同じやうな意味です。

 天氣・・・、まさに天の氣持ち、天の氣まぐれです。私たちの力ではどうすることもできません。

 だから、自分でコントロールできる自分の心を晴らしていかうと云ふ言葉を私達の祖先は創つてくださいました。支那語にはない言葉です。

天の氣が 氣まぐれなのか 氣晴らしか 己の心は 心晴らしで

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このページは、宝徳 健が2016年6月21日 02:23に書いたブログ記事です。

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