民主主義が本當に正しいのか(皇紀弐千六百七十六年六月二十六日)

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  フランス革命は、民衆の狂氣によつて、王樣が首をはねられました。大東亞戰爭は、「戰爭反對」を言はうものなら選擧に當選しない雰囲氣だつたさうです。明治時代、元武士が政治をやつてゐたときはうまくいつたのですが、選擧が實施され、民衆が政治に關與することになつてから、自由民權運動なる愚かな活動がおき、おかしくなつていきました。板垣退助や大隈重信など、信じられないやうな政治家が出てきてゐます。
 今回の英国のEU離脱もさうです。英國が創りあげたあの政治、そして、日本の約半分のGDPでしかない英國がなぜ世界に影響力を行使できるかを國民はまつたく理解してゐません。

 あの立憲主義(我が國の野黨が云つてゐるやうな愚かな立憲主義ではありません)や、諜報網、そして、金融支配(いいかどうかの議論は避けます。オフショア市場の総元締めはシティです)。

 これらをすべて捨て去ることになるのです。

 今が、安倍政權でよかつた。確かに困難な状況ですが、この状況は安倍さん以外では解決できないでせう。
 
 數日前、日銀が賈ひ上げてゐる年間百兆円もの國債の資金を使つて、銀行は海外で儲けてゐる話をしました。それも利かなくなるでせう。債券市場でも海外でも設けられなくなつた銀行は、いよいよその使命を元に戻すときです。

 幸ひにも、我が國の國債は、マイナス金利でありながら、安定的な價値であることから、賈ひ手が殺到してゐます。債券値格は上昇してゐます。なら、コストがかからないどころか、發行すれば収入になる國債を發行し、それを日銀が賈ひ上げ、發生する資金で國内インフラ投資をし、景氣を浮揚させる大チャンスです。これが眞の意味の財政政策です。

 日本の心の中山黨首が云つてゐるのは、さういふことです。

 我が國が大國になるチャンスが巡つてきました。臣民がその意を強く持ちませう。

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このページは、宝徳 健が2016年6月26日 07:53に書いたブログ記事です。

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