束の間(皇紀弐千六百七十六年六月二十六日 弍)

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 あ~、殘念。たまに、家に居る時は、普段觀ることができないテレビを觀ます。昨日、家に戻つて、新聞をみたら、「えっ、ラグビーと陸上の両方をやつてゐる」と。最近の陸上はいいですね~。私たちが若い頃は日本は陸上は弱かつた(水泳も)。樂しい、樂しい。福島千里さん、熟してきましたね~(プレーがですよ)。そして、なんと言つても、男子100m走。我が國で、陸上100mがこんなに盛り上がるなんて・・・。こんな日が來るなんて。そして、その100m走には、我が母校 慶應義塾大学出身の山縣選手が!應援しましたよ~。あ~、殘念!!!でも、よいよい。まだチャンスはある。

 すぐに、ラグビーにチャネルを切替えました。あ~、おしいな~。よいよい。喧嘩と同じで、物理的に負けたとしても、負けた方が下を向いてゐないことが大切です。負けても負けたと思はないことが大切(負け癖をつけない)。我が國開催のワールドカップまで、課題を十分確認して、そして、本番で勝てばよい。それにしても、ラグビーも強くなつた。これも、信じられない事です。樂しいな~。

 今日は、久しぶりの快晴です。ガミさんが、洗濯すると張り切つてゐました。梅雨の間の束の間の晴れですね。
 「束」は、我が國古代の長さを測る單位です。「つかむ」が語源です。手でつかんだほどの長さのことです。
 
 つまり、親指を除いた指四本分の幅になります。「束の間」とは、一束ほどの時間。ごく短い時間のたとへです。たとへ束の間であつたとしても、それは大切な大切な時間。私たちが手につかんでゐる時間です。さあ、今日もやるぞ~。やることがたくさんあつて嬉しいなあ。

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このページは、宝徳 健が2016年6月26日 08:08に書いたブログ記事です。

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