無學(皇紀弐千六百七十六年六月二十六日 參)

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 普段、何氣なく使つてゐる言葉が、實は、佛敎用語だつたといふものを紹介してゐます。

 今日は、「無學」です。現在使はれてゐる意味とはまつたく違ひます。
 佛敎用語では、「無學」とは、學問を極め盡して、學ぶことがなくなつたことを云ひます。煩惱を斷じ盡して修行することがなくなつた聖者や、その境地の事を意味します。

 どんな今日ちなんだらう。できるかできないかではなく、さういふ境地を目指したいものですね。

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このページは、宝徳 健が2016年6月26日 08:22に書いたブログ記事です。

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