佛を守る須彌山(しゅみせん)に帝釈天たちがゐます。多くの天が住んでゐます。
あのフーテンのとらさんに出てくる柴又帝釈天はこの帝釈天が祀られてゐます。
須彌山には、阿修羅も住んでゐました。彼には、それはそれは美しい娘がゐました。
あのフーテンのとらさんに出てくる柴又帝釈天はこの帝釈天が祀られてゐます。
須彌山には、阿修羅も住んでゐました。彼には、それはそれは美しい娘がゐました。
名前を舎脂(しゃし)と云ひます。いずれ須彌の主である帝釈天に嫁がせたいと思っていました(もともと帝釈天はインド神樣)。ところが、そうとは知らない帝釈天は舎脂を力ずくで奪い、凌辱してしまつたのです。怒つた阿修羅は帝釈天に戰ひを挑みました。でも、戰ひの神である帝釈天には勝てません。何度挑んでも負けてしまひます。
一方、舎脂は、戰ひの最中にも關はらず、逆に帝釈天を愛してしまい、阿修羅はそのため更に逆上し、爭ひは天界全體を巻き込む大戰亂となりました。
このため阿修羅は復讐に燃える悪鬼とされてしまい、勝てる筈もなく敗れた阿修羅は天界から追放されてしまつたのです。
一見、帝釈天のはうが惡のやうに見えますよね。阿修羅は我が娘を陵辱した相手を懲らしめようとしたのであり、帝釈天は他神の娘を陵辱したのですから、阿修羅は正しく、帝釈天は惡であるはずです。
しかし、阿修羅の娘である舎脂は帝釈天の正式な夫人となっていたにも關はらず、戰ひに目を奪われた阿修羅は相手を赦す心を失つててしまひました。
つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の惡となつてしまふといふ教へなのです。
この阿修羅と帝釈天の戰ひの場を修羅場(しゅらじょう)といひ、そこから「しゅらば」と云ふ言葉が生まれました。
天も人間と同じなのですね。まあ、帝釈天の女好きは有名ですが・・・。
興福寺の阿修羅像です。
死後に生まれかわる世界が六道世界(天界・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄)と以前書きました。天界を追われた阿修羅は、正義を振りかざす妄執の惡鬼として人間界と餓鬼界の間に置かれたとされてゐます。
地獄・餓鬼・畜生よりはましですが、復讐の鬼となつてゐる姿は人間以下だという意味が込められているのでせう。氣をつけなきゃ。
一方、舎脂は、戰ひの最中にも關はらず、逆に帝釈天を愛してしまい、阿修羅はそのため更に逆上し、爭ひは天界全體を巻き込む大戰亂となりました。
このため阿修羅は復讐に燃える悪鬼とされてしまい、勝てる筈もなく敗れた阿修羅は天界から追放されてしまつたのです。
一見、帝釈天のはうが惡のやうに見えますよね。阿修羅は我が娘を陵辱した相手を懲らしめようとしたのであり、帝釈天は他神の娘を陵辱したのですから、阿修羅は正しく、帝釈天は惡であるはずです。
しかし、阿修羅の娘である舎脂は帝釈天の正式な夫人となっていたにも關はらず、戰ひに目を奪われた阿修羅は相手を赦す心を失つててしまひました。
つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の惡となつてしまふといふ教へなのです。
この阿修羅と帝釈天の戰ひの場を修羅場(しゅらじょう)といひ、そこから「しゅらば」と云ふ言葉が生まれました。
天も人間と同じなのですね。まあ、帝釈天の女好きは有名ですが・・・。
興福寺の阿修羅像です。
死後に生まれかわる世界が六道世界(天界・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄)と以前書きました。天界を追われた阿修羅は、正義を振りかざす妄執の惡鬼として人間界と餓鬼界の間に置かれたとされてゐます。
地獄・餓鬼・畜生よりはましですが、復讐の鬼となつてゐる姿は人間以下だという意味が込められているのでせう。氣をつけなきゃ。
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