負けるが勝ち(皇紀弐千六百七十六年六月三十日)

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 一昨日書いた「世にも不幸な物語」のタイトルを「負けるが勝ち」に變へました。

 さあ、みなさんの答えは?
 娘さんは、財布の中に手を入れて、小石を一つとり出しました。そして、小石が白か黒かを確かめないうちに、それを手から滑り落とし、石ころ道に落としてしまひました。そして云ひました。

「大丈夫。財布の中に殘つてゐる小石を見れば、今、落とした小石の色がわかりますものね」

 財布の中に殘つてゐるのは、もちろん黑ですから、理屈では、娘さんが最初にとり出した石の色は白となります。なんと頭の良い娘だ。

 これを水平思考と云ひます。相手との交渉をするときには、一定の考へ方があります。シリーズでそれを勉強しようとしてゐます。思考の訓練です。樂しんでください。かういふ訓練が今の敎育には不足してゐます。

 でもみなさん、これを「とてもハッピーな物語」と思ひませんでしたか?ハッピーと思った方は、交渉能力が不足してゐると思つてください。

 視點の轉換が「不条理を乘きる」ときには、とても大切なのです。

 この金貸しを惡人と思つた人も、勝負腦ではありません。この人、とても良い人なんです。顔は惡いかもしれませんが。彼が一つだけ犯した過ちは、ちょっとだけズルをしたことだけです。

 自分の容貌を知つてゐるから、娘の體面を大切にして、「賭けに敗けたことにしてお嫁においで」と云つてゐます。それなのに、親切な提案をした金貸しは、なんの代償もなく貸付金を棒引きにされてしまひました。

 おわかりでせうか?金貸しの「視点(水平思考)」からすれば、このお話は人生最大の不幸の物語になるのです。要は両方の視点に立つことを水平思考と云ひます。これが交渉や不条理を乘切るときにとても大切な思考なのです。

 では、今日の物語・・・。

犬の門から入れ

 今から三千年近く昔のことになりますが、支那の戰國時代 斉の國に晏嬰(あんえい)という人物がいました。晏嬰は、斉の総理大臣でした。

 たいへん有能な男でしたが、背は低くてちんちくりん。いかにも風采はあがらない男でした。けれども、この男が大変優秀なのです。

 晏嬰がある日、王の命で、楚の國へ使ひに行きました。楚の國の王は「あの有能な晏嬰が来るけれど、この際だからあの男をギャフンと言わせてやつつけてしまへ」と家臣に命じました。

 家臣どもは、城門の外で晏嬰を待ちます(古代支那の都市は、城壁で囲まれていた)。晏嬰が來ました。「晏嬰どの、ようこそ。どうぞこちらへ」。家臣どもが案内したのは、人が通る大きな門ではなく、犬が通る小さなもんでした。晏嬰はちんちくりんの子男ですから、馬鹿にして、大きな門の脇の小さな犬の門から入れといふわけです。あなたならどうしますか?

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このページは、宝徳 健が2016年6月30日 07:37に書いたブログ記事です。

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