源氏物語 16(皇紀弐千六百七十六年七月十四日 四)

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 私は、若いころ、文學など興味はありませんでした。歳を重ねるにつれて、我が國のことに興味を持ち、いろいろ勉強していくと、どうしても、源氏物語のやうな古典を學びたくなりました。全部つながつてゐるのです。政治も經濟も文化も歴史も文學も武道もなにもかもが。ひとつを切り離して考へることなどできないのです。

 天子樣の私たちに對する最後のしつけを私たち臣民は自己都合を排除して眞劍に受け止める必要があります。我が國だけが、世界でなぜ續いたか。ものすごいパワーを天子様がくださろうとしてゐます。臣民として、さぼるわけにはいきません。

 さて、光源氏の若を小君が姉である空蟬に届けたところからでした。
 空蟬が小君に云ひました。
「とんでもないことをされてしまつて、困っているのよ。なんとか逃げ出したけど、よくない噂がたてられるわ。あなたもよくないわよ。手引きなんかして。さうなつたらあの方にどのやうに思はれるか」

 空蟬にしてみれば、汗ばんだ自分の薄衣が光源氏の手ものにあることだけでも恥ずかしいのに。

空「(でも、あの方も眞劍に思つてくれてゐるやうだ。ああ、でもいけなん。私は人妻。娘のころだつたらどんなにか素晴らしいことなのに」

空蟬の 羽(は)におく露の 木(こ)がくれて しのびしのびに ぬるる袖かな

 乱れる思ひを抱きながら、空蟬は、光源氏からもたつた手紙のかたすみに、返歌をしたためます。

 「蟬の羽に露がおくやうに、私の袖は木陰に隠れて涙にぬれてゐます」

 雨夜の品定めがここで生きてきます。あの雨夜の品定めでは、空蟬のやうな女性は、二流にランクされてゐました。で痩せすぎで美形ではありません。でもお、たしなみの深い、男ごころに響く人なのです。

 あつ、さうだ。空蟬のかはりに間違へて抱かれた女は、自分が間違へられたとは思はず、ひたすら光源氏からの連絡を待つてゐましたが、何の音さたもありません。人に話せるやうなことでもないし、さびしい思ひを抱きましたが、「まっ、いいや」と忘れてしまひます。大騒ぎにはなりませんでした。光源氏も運のよいやつです。

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このページは、宝徳 健が2016年7月14日 04:34に書いたブログ記事です。

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