氣が枯れる(皇紀弐千六百七十六年七月八日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 大祓詞(おおはらえのことば)といふ祝詞があります。我が國の成り立ちと我が國における生き方を示したとても貴重な祝詞です。毎朝、暗証してゐます。

 我が國の國體を示す、「シラス」も登場します。

 一貫として書かれてゐるのが、相手を征服するのではなく、最悪でも平定だ。自然道に從つた生き方をせよ。そして、一人が犯した罪があるならそれをみんなで、清め洗ひ流して行かうと説いてゐます。

 人間は、生きてゐると、大小さまざまな罪を犯します。自分で氣づかうと氣づくまいと。そして、そのたびに、自分が知らない間に「氣が枯れて」行きます。
 氣が枯れる=穢れとなります。

 その穢れを定期的に淨化する必要があります。それが祝詞であり、神社詣でです。

 神さまに何かを頼みに行くことが神社詣でではありません。

 神さまは、人間の云ふことなんかめつたに聞いてくれるものではありません。だから、踊ったり歌ったり叫んだりするのが神事です。あれは、神樣を脅すやうに訴へてゐるのです。「訴へる」→「うつたぶ」
變化して、「歌う」となりました。古代の歌は、神樣を脅すためにあつたのですね。

 毎日毎日、氣が枯れる=穢れるので、淨化していく・・・・・。

 ある人に云はれました・・・。毎日淨化してゐるのに、なんで心臓病になるの?と。淨化以上に惡いことをしているからなんでせうね(涙)。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6401

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2016年7月 8日 09:25に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「五節句(皇紀弐千六百七十六年七月七日)」です。

次のブログ記事は「奉行(皇紀弐千六百七十六年七月八日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。