投機(皇紀弐千六百七十六年七月二十日)

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 普段何氣なく使つてゐる言葉が実は佛敎用語だつたなんてのを紹介してゐます。

 投機もさうなんです。
 投機は、佛敎では、「機と機が投合する(心の働きが等しくなる)」といふ意味です。修行者が悟りを開いて佛祖の心境に達すること、また師匠と弟子の心の働きが一致することを云ひます。

 佛は、いつも私たちに機を投じられてゐます。私たちは、その佛の機にあはせていく努力をすればいいのですね。

 知人友人關係、家族、上司と部下、經營者と社員・・・・。いつも氣を投じあはせたらよりよい關係になりますね。

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このページは、宝徳 健が2016年7月20日 06:30に書いたブログ記事です。

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