普段、何氣なく使つてゐる言葉が實は、佛敎用語だつたなんてのを紹介してゐます。今日は、最終囘です。「絶對(絶対)」です。
佛敎用語では、「ぜつだい」と讀み、そして、正しくは「絶待」と書きます。
他との比較を絶した、ただ一つの他に並ぶものがないありさまのことを云ひます。
私たちは、ほとんどが、互いをよりどころにする相対の中で生きてゐます。でも、人が苦しむのは、こ相対の中で、自分と何かを比較するところからきてしまひます。
誰が正しいかではなく、何が正しいか・・・・、それが生きる修行なのでせうね。
佛敎用語では、「ぜつだい」と讀み、そして、正しくは「絶待」と書きます。
他との比較を絶した、ただ一つの他に並ぶものがないありさまのことを云ひます。
私たちは、ほとんどが、互いをよりどころにする相対の中で生きてゐます。でも、人が苦しむのは、こ相対の中で、自分と何かを比較するところからきてしまひます。
誰が正しいかではなく、何が正しいか・・・・、それが生きる修行なのでせうね。
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