一昨日の敗戰屈辱日にはあへてブログを書きませんでした。戰爭で敗けたことを、「記念」する國がどこにあるでせうか。毎年、敗戰屈辱日には、昭和天皇の玉音放送を掲載していました。興味のある方は、アーカイブで檢索してください。
季節の美しい言葉を時々、紹介してゐます。今日は「肘傘雨」です。「ひじかさあめ」と讀みます。
季節の美しい言葉を時々、紹介してゐます。今日は「肘傘雨」です。「ひじかさあめ」と讀みます。
突然の雨に出くはし、雨宿りをする場所もなく、肘を頭の上にかざして駆けだした經驗はありませんか? う~ん、今は、いたるところにコンビニがあるので、そんな經驗は少ないかも。
でも、さういふ、にはか雨のことを、「肘傘雨」と呼びます。昔の日本人は言葉づくりの天才ですね。
この肘傘雨は、源氏物語にも言葉として出て來るのですよ。
須磨源氏のところです。須磨に來て一年がすぎた上巳の節句(桃の節句)のことです。光源氏は、配流の軆といふ穢れを祓うべく、海邊に出て幔幕を張り祓をすることにましした。空は雲一つないまことに良き日で、海もうらうらと凪いでゐました。
ところが、源氏が、
源氏物語を書くと、止まらなくなるので、この邊で(笑)。
でも、我が國は素敵ですね。
でも、さういふ、にはか雨のことを、「肘傘雨」と呼びます。昔の日本人は言葉づくりの天才ですね。
この肘傘雨は、源氏物語にも言葉として出て來るのですよ。
須磨源氏のところです。須磨に來て一年がすぎた上巳の節句(桃の節句)のことです。光源氏は、配流の軆といふ穢れを祓うべく、海邊に出て幔幕を張り祓をすることにましした。空は雲一つないまことに良き日で、海もうらうらと凪いでゐました。
ところが、源氏が、
八百(やほ)よろづ 神もあはれと 思ふらむ 犯せる罪のそ れとなければ
(八百万の神も私のことを憐れんでくれるだろう。なぜなら私にはこれといって犯した罪もないのだから)
という歌を朗々と詠み上げると、天俄かに搔き曇り、激しい風が吹きすさび、雨も「肘傘雨(傘も間に合わないほどにの降り」となって降り注いできました。そのうちに雷まで鳴り始る。祓どころではなくなってしまい、みなばらばらと屋敷に駆け戻りました。(八百万の神も私のことを憐れんでくれるだろう。なぜなら私にはこれといって犯した罪もないのだから)
源氏物語を書くと、止まらなくなるので、この邊で(笑)。
でも、我が國は素敵ですね。
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