源氏物語 32(皇紀弐千六百七十六年十月六日 參)

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 「いとしるきほどにて、人々見たてまつりとがむるに、あさましき御宿世(すくせ)のほど心うし」・・・・・

 話は少し飛びますが、藤壺にはつきりと、つはりの兆候があらはれて、人々がみて問いただすやうになります。藤壺は、世の定めのあさましさに心を惱まします。懐妊です。光源氏の子を身ごもるのです。

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 やがて藤壺は、宮中に歸つて、「帝の子」として出産します。のちの冷泉帝(れいぜいてい)です。

 實は、第一帖「桐壺」と第二帖「帚木:ははきぎ」のあいだに、まう一帖 光源氏と藤壺の幻の帖があつたと云はれてゐます。

 ですよね。藤壺が懐妊するまでの間、紫式部は、あまり、藤壺と光源氏のドロドロした愛を描いてゐません。當時 光源氏は十二歳です。きつとあこがれの人と、密會し、そして肉體關係を・・・。

 おつといけない。紫式部の美意識を私ごときが崩してしまふ。

 このときもさうです。藤壺が病で宮中から里に下がつてゐるとき「これが逢はずにいられるか」と藤壺に仕へる女房を責め落し、無理な算段を講じてなんとか逢ひました。

 懐かしさ、いとしさはひとしおです。まうどうにもならない光源氏の思ひは、手紙を交はすぐらいではおさまりがつきません。

 藤壺も「いけないわ」と思ひながら、光源氏の魅力が女心に迫つてきます。

 そして、ここが紫式部のうまさです。「若紫」の帖で、これ以上、藤壺のことを書いてゐません。

 先ほどの懐妊は、この密會から三か月後のことだつたのです。

 光源氏は、苦しみます。そして、藤壺の姪である若紫への思慕がますますつのるです。

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このページは、宝徳 健が2016年10月 6日 01:19に書いたブログ記事です。

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