源氏物語 35(皇紀弐千六百七十六年十月三十一日 弐)

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 今日の産經新聞の正論に、都留文科大學教授の新保佑司さんが、海道東征につひて書いていらっしゃいました。新保さんは、出光時代の先輩です。一緒に仕事をしたこともありました。十月三日には、交聲局「海道東征」の演奏會も開かれてゐます。

 海道東征は、神武天皇の東征を題材にして、北原白秋が作詩し、天才作曲家信時潔(のぶとききよし)が作曲したものです。戰後、ながらくこの世から葬られてゐました。

 神武天皇なんて本當にゐたのかと聞かれることがよくあります。いたのは眞理であり、眞實であり、事実ですが、ナンセンスな質問です。では、カトリック教會主義のやつらに「マリアは本當にいたのか」と聞いてみてください。喧嘩どころか殺し合いになります。マリアがいたのは彼らにとって、事實であるかどうか關係ないのです。眞理なのです(新約聖書はゾロアスター教の經典を書き直しただけなので、神武天皇がいらっしゃったことよりも眞實性は薄くなりますが)。

 その新保さんが、このたび、「海道東征」を上梓されました。




 さつそく注文しました。國が危機に陥つたとき、まづすることは、自國の歴史を見直すことです。新保さんも言つてゐます。明治維新が偉大だつたのは、維新に當たり、神武天皇の御世までもどつたことだと。

 といふことであれば、今の私たちは、歴史を知らなすぎます。こんなに素敵な國の歴史を。

 源氏物語もそのひとつですね。さあ、今日から、第六帖 末摘花(すえつむはな)です。
 光源氏は、時々「ああ、夕顔はいい女だつたなあ。またあんな人はどこかにいないかなあ」と嘆息します。

 そんなとき、昔の乳母の娘に「とても琴が巧みな姫君がおられますよ」と告げられて興味を持ちます。

 この姫君は、出自はすばらしいのですが、今はろくな後見もなく、貧しく暮らしてゐます。人見知りが激しく、人とも几帳を立てて話すぐらいです。

 「夕顔みたいな人かなあ」とある十六夜(いざよい)に、光源氏が訪ねていきました。琴は格別上手と云ふほどでもありません。ひどい暮らしぶりなのは、ひとめでわかります。「どうしたものかな」とその日は退散します。

 退散しようと振り返ると頭中將(とうのちゅうじょう:この人は覺へてねとお願いした人です)が、ものかげに潜んでゐるではありませんか。頭中將は、光源氏がどんな女のところにいくかつけてゐたのです。二人は大笑ひしながら歸つていきました。

 さて、その後も、光源氏は、手紙を出したし、障子のうちに入ったりしますが、はかばかしい反應が得られません。

  その次に訪ねたとき、朝までいて「雪の空がすてきですよ」と云ひました。やうやく姫が登場です。さて・・・・(笑)。

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このページは、宝徳 健が2016年10月31日 06:00に書いたブログ記事です。

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