ローマ帝國分裂の後(皇紀弐千六百七十六年十月七日)

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 ローマ帝國が分裂したことは、昨日述べました。

 東ローマ帝國は、とにかく西歐、つまり、キリスト教、つまり、カトリック教會主義から逃れたかったのです。

 これ以降数百年にわたつて、西歐の歴史は不明になります。聖書しか認めなかつたので、書物が書かれなかつたのです。歐州中世は、「暗黑の世紀」と呼ばれてゐます。古代より新しい時代のはうが記録が残つてゐないのです。

 我が国は、歴史が一度も途切れることがありませんでした。退化した經驗もありません。だから、歴史を武器にする感覺がないのです。

 そして、日本人は、常に歐米白人社會が世界の最先進國だと思ひ込んでゐますが、おわかりでせう。白人社會の今日の姿などほんの最近なので。
 白人の「我々の歴史が世界の中心であった」といふ自我に支那とイスラムは強烈に反發してゐます。

 國際社會は、歴史に基づく自我の張り合いなのです。正しいとか正しくないとかは、彼らにとつてはどうでもよいことです。

 そして、彼らは云ひます。

正しい歴史を知ってゐる。それだけで、その人間を殺す十分な理由になる

と。かういふ事實知りながら外交をしなくてはなりません。國際化と云ふ言葉は美しい言葉ではないのです。

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このページは、宝徳 健が2016年10月 7日 11:49に書いたブログ記事です。

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