乱痴氣(皇紀弐千六百七十六年十月二十六日)

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 私はまだ幼くて、正常に判断できませんでしたが、なんかおかしいなあと思ったことがありました。五十年安保や六十年安保の時です。學生がヘルメットをかぶり棒を振り回しながら亂闘をしてゐました。

 大學生とは、これが正常な姿なのだらうかと思ひました。日本人はこんなに醜いのかと思ひました。何よりかはいさうなのは、警察官です。デモの學生からこんなことを言はれたこともあつたさうです。「お前、學歴は?」と。

 お前ら學生のせいで、出ていかんでもいい金が使はれ、出動せんでもいいことに警察官が振り囘されます。なのに、この言いぐさはなんでせうか?

 さて、また警察官がかはいさうな時期になつてきました。あの、観るのもおぞましい、乱痴氣騒ぎ。
 乱痴気:気を取り乱して理性を失うこと。また、多くの人が入り乱れて混乱した状態になること。

 ハロウィンです。あの恥ずかしい行いをみてゐると、吐きさうになります。目を背けたくなるのは私だけでせうか? メディアは好意的に取り上げます。狂人そろひですね。

 今日の産經新聞コラムで曽野綾子さんが書いていらっしゃいます。

「(前略)昔、一時期、電車の中でお化粧する女性が目立った時期があった。そうした女性たちに対する男性のワルクチは、もちろん公的な場では声にならなかっただろうが、個人的に聞かされるときはひどいものであった。「人前ではずかしてもなく・・・」「今に、電車の中で『お着替え』するものもでますぜ」「お化粧したってしなくたって、大した違いはないのに」

 とにかく化粧というのは化けることだから「楽屋」、つま陰の場所でするものである。舞台に出てくるときは、美人になっていたり、外国人になっていたら、時には男が女にまでなっている。(中略)
 自分以外の人物になる危険は本来避けなければならないものだ。自分が自分以外の存在でいいというなら、「人権」の観念など要らないだろう。(中略)

 しかしハロウィンは、その人でなくなることを目的としているのだから、見世物か偽物になるほかはない。(中略)

 私は何が気の毒だといって、渋谷駅前の警備に就くお巡りさんが気の毒でたまらない。自分だって若いのだから遊びたいだろうに、遊びほうける若者(バカモノ)の安全のために働かねばならない。(後略)」

 全面的に賛成です。

 十月三十一日なんてなくせばいい。

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このページは、宝徳 健が2016年10月26日 13:32に書いたブログ記事です。

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