第七帖 紅葉賀(もみぢが)を超譯してゐます。
朱雀院で行はれる宴會のために、事前に豫行演習が行はれました。そこでの光源氏のパフォーマンスが、あまりにも見事なので、帝をはじめ、観るものは感動の涙を流しました。
ただひとり、弘徽殿女御(こきでんのにょうご)だけが、「神樣が聞いて神隱しにするわよ。ああ、氣持ち惡い」とけちえをつけます。
昨日、十一月二十三日は勤労感謝の日なんてへんちくりんな名前ではないと申し上げました。でも、せっかくだから「働く」といふことについて。
財務省が新興國發展のために新興國に對しては、「特惠関税制度」を設けてゐます。支那をそれからはずす方針を發表しました。世界第二位の經濟大國だとかいいながら、いまだにODAを提供してゐるなど、腹が立つことがたくさんありますが、うんうん。いいですね。
昨日は、我が國で最も大切な祭日でした。仕事にかまけてブログを書くことができませんでした。不覺。
昨日は新嘗祭です。勤労感謝の日なんて、へんちくりんな名前ではありません。
陛下は、新嘗祭まで新米を召し上がりません。それはなぜか。
敗戰前なら、小學生でも知つてゐた、三大神勅をご紹介しませう。
今日から二十四節氣(にじゅうしせっき)の小雪(しょうせつ)です。雪が降り始めるころです。まだ、積もるまでいかないので小雪とつけられたやうです。
そして、七弐候は、小雪 初候 虹蔵不見でし。「にじかくれてみえず」です。
曇り空が多くなる頃。陽射しが弱まり、虹を見ることが少なくなります。見ることができても、夏の空のようなくつきりとした虹ではなく、ぼんやりとすぐに消えてしまひます。
第七帖 紅葉賀(もみぢが)です。この帖は面白い。
文字通り美しい紅葉の季節に朱雀院への行幸が企てられます。
弘徽殿女御(こきでんのにょうご)といふ源氏物語におけるとてつもないキーパーソンの名前を覺へてください。
このブログでは、極力人の名前を避けてゐます。源氏物語を讀み挫折する人が多い一番の理由が、登場人物が多すぎて名前を理解できないのと、そして、その人間關係圖がわからなくなることです。
まだ出ていない弘徽殿女御、弘徽殿女御、弘徽殿女御。いいですね(笑)。
かつて、岐阜市に、我樂多屋といふ古本屋があつたことはこのブログでも紹介しました。
今日、昼食を食べた後、岐阜市内を散策してゐると、「あれっ?こんなところに古本屋があつたつけ?」。つくりが新しいので、最近できたかなあと思って店の人に聞くと弐年前だとか。
さういへば最近、岐阜に来ていないなあ。
本棚を眺めました。
昨日のネットニュースに出てゐました。私の郷里、博多。ちょっと自慢、自慢。
昨日、移動のとき、「荷物が重てぇなあ」と思いました。パソコンも入つてゐますが、これは、先日賈つた新品。なんと、ペットボトル程度の重さしかないすぐれものです。うれしい。では、重たいのはなぜ?
鞄に入つてゐる本の數・・・。十二冊・・・・。重いはずです。私は、何冊もの本を一度に回し讀みします。浮氣者なのです(本だけですよ)。だつて、彼女(本)たちが、「ねえ、私から讀んでよ」「ちよつとまつてよ。私を無視するの?」「ねえねえ、次は私でしょ?」とかとか・・・・。いつも彼女をこれくらい連れて歩いてゐます。本が語りかける。本好きの人ならわかりますよね(笑)?
さて、なぜ、歐州のことを書いてゐるのか。中世歐州を知らないと、近現代がわからないからです。我が國の江戸時代以降のことも歐州の理解なしではわからなくなります。
さあ、フリードリッヒ二世の登場です。
昨日、引き揚げのところで、満洲と書きました。よくわかつてゐる人以外の本は、満州となつてゐます。ここにも支那の隱れた意図と、それに從つてしまふ我が國の勢力があります。かういふ細かいところまで暗に洗腦するのが左翼です。
肉體的にも精神的にも、久しぶりにゆつくりした朝です(笑)。今日もクライアント訪問はありますが、読書と手紙書きは充實しさうです。
私の父方も母方も引き揚げ者です。
父と伯父(母の兄)は、兵隊でしたから、引き揚げはしてゐませんが、その他家族は、それはそれはひどい體驗をしたやうです。毎年、敗戰屈辱日になると、母が、三十八度線を超えるまでの悲惨な話しを聞かせてくれました。
地政學のかけらもしらない愚かなアメリカは、三十八度線で妥協しました。そして、朝鮮戰爭で計り知れない後悔をします。我が國が、日露戰爭時になぜ三十九度線にこだわつたかを全く理解してゐません。
光源氏が、末摘花に懸想してゐるとき、光源氏の自宅 二条院では、若紫がすつかり寛いでゐました。少女から大人へ。どんどん美しくなつていきます。さすがに藤壺の姪です。美しさのレベルが違ひます。
光源氏と若紫は、ままごとのやうな遊びをします。光源氏が雛遊びに興じながら、髪の長い女を描いて、その鼻先に紅を塗ります(末摘花へのあてつけ)。
急ぎの仕事があるので、今日はこれひとつ。今朝の産經新聞に、李登輝元臺灣総統が載つてゐました。やはりさうです。外交で日本がゲームメーカーになれといふやうなことを仰つてゐます。
敗戰後の我が國外交は、ずつとゲームテーカーでした。外交とはゲームメーカーにならなくてはなりません。やつとそのチャンスが訪れました。
國會論戦を聞いてゐても、ゲームテイカーとしての日本はこれからどうするんだといふ議論ばかり。彼らに國家運営を預けている恐ろしさで背筋が凍りさうです。
では、李登輝さんのインタビュー内容をお樂しみください。
季節の素敵な日本語を時々紹介してゐます。
俳句には必ず季語が必要です。あっ、ここで一つ。俳句は「句」ですが、和歌は「首」です。間違へないやうに。
「麗:うらら」は季語です。それも春の季語です。「春麗:はるうらら」とよく云ひますが、麗だけでも春の季語です。
「共産」といふ字は、日本人が開發しました。日本人は言葉を創る天才で、支那共産党憲法の75%は日本人が創った文字です。「共産」なんかいや~な感じがしませんか?
なのに、選挙になると共産党員ではないけれど共産党に投票する驚くべき何も考えない驚くべき人たちが増えてゐます。
歴史を正しく理解することは日本人の一つの使命です。なぜなら、日本でしか正しい歴史を語ることは不可能だからです。歐米では、「正しい歴史を知っている。それだけでその人を殺す十分な理由になる」です。支那の歴史はプロパガンダです。司馬遷の史記以來ずつと。朝鮮の歴史はファンタジーです。
我が國でも、最近までは、敗戰利得者によるねじまげウソ歴史が横行してゐました。學校で習つた歴史は、すべて否定してもらつて結構です。ウソを習ふから、子供たちが歴史嫌いになります。自國に誇りを持つことができません。
でも、最近の我が國は「正しい本」が續々と出始めてゐますし、今まで學界の壓力によつて日の目を見なかった本が復活してゐます。うれしいですね。少しずつですが、我が國が復活しはじめてゐます。
さて、キリスト教をめぐる明確な歴史歪曲のもう一つでしたね。次の日に書くと云ひながらすみません。少しあいてしまひました。
季節の素敵な言葉を時々紹介してゐます。
高校時代、鬼平犯科帳を讀んでゐると「時分時」といふ言葉に出逢ひました。「じぶんどき」。毎日の定まつた食事の時間のことを云ひます。「久栄、時分時だ。佐馬に食事を。あっ、それから一杯もな」。う~ん、昔の人たちは、粋な言葉を使つていたのですね~。
この時期の言葉で、時雨空(しぐれそら)があります。降ったりやんだり、一定しない空模樣のことです。時雨は晩秋から初冬にかけての雨です。バラバラと音を立てて通り過ぎるにはか雨です。今にも泣きさうな氣持ちにたとへられ、「時雨心地」とも云ひました。なるほど、空が泣きべそをかいてゐるように見立てたのですね。私たちの先輩は言葉づくりの天才です。
さて、今日紹介する言葉は、「灯點(点)し頃」です。
昨日のブログで核のことに言及したら、何人かの方から「本當にさう思ふか」との問い合わせが。お答へします。「核保有」とは言つてゐません。「核保有の議論を」です。技術大國の我が國は、いつでも核兵器を保有できる技術を有してゐます。だから、議論するだけで安全保障になります。議論もしてはいけないのなら、支那や北朝鮮になつてしまひます。それに、議論するだけで安全保障になる國など、我が國以外にありません。
さういふ意味では、日印原子力協定はすさまじい威力を發揮しますね。
冷戰が終結したとき、世界の国々は、日本は大國化すると誰もが予想しました(大國とはその國の意見を尊重しないと世界の枠組みが決まらない國)。拉致問題も北方領土問題も、すべて解決する大チャンスでした。
なのに、政治家にも財界人にもメディア人にも學界にも臣民にもその意志は皆無でした。
亡くなった方に鞭打つつもりはありませんので誤解なく。
なんか、電通の事件を中心に残業が惡のやうに取り上げられてゐます。
史上最強のローマ教皇 インノケンチウス三世(在位119-1216)の登場からでした。ちやうど、我が國では鎌倉時代です。
1204年、十字軍はエルサレムへの通り道にある東ローマ帝国を滅ぼしました。
今朝は、いろいろやることがあるので、ブログはこの一つです。
まだ、薪風呂だつた頃、風呂をたくのは、私の仕事でした。火の維持が大變。油斷するとすぐに冷めてしまひますから、入つてゐる人が湯冷めします。そこに「オガライト」といふおが屑を固めたようなものが開発されました。薪で火をおこし、炭が機能するまでこのオガライトをくべておくと、火が画期的に維持されました。便利なものだな~とおもいした。つきっきりにならなくても、火が維持されるので樂でした。
まだ、缶詰が今より市場で存在意義を持つてゐたころ、缶詰のふたを開けないで、コンロで熱して、缶詰が爆發したといふニュースがありました。私がまだ小學生のころです。小學生の私でも、そんなことをしたら、中で空氣が膨張して爆發することはわかりました。爆發させた人がメーカーを訴へたといふニュースを観て、「自分の責任じゃん」と思ひました。
昨日紹介した本はみておいてくださいね。集中的にこの三日で本を讀みます。
繰り返し述べますが、江戸時代の寺子屋は、讀みが、支那の古典と十七条憲法と貞永式目です。書きはまあ、それらを書くとして、そろばんは、塵劫記(じんこき)です。庶民の家に、髙等數學の本、塵劫記が必ず一冊ありました。神社で、難しい髙等數學の問題が掲示されます。人々は競つてその問題を解きます。それでをはらずに、自分で作つた問題をさらに掲示し解きあひます。
ペリーが日本に來たときに、庶民が新聞を讀んでゐるのを見てびつくりしたさうです。歐米では貴族の人間でも文字を讀めない人がたくさんゐました。
ああ、私たちはなんでここまで退化してしまつたのでせうか。
十七条憲法で自然道で生きる日本人の在り方を學び、貞永式目で生きるルールを学ぶ。いいですね~。
今日は、十一条の条文だけです。
季節の美しい日本語を時々紹介してゐます。今日は、「忘れ音」です。「わすれね」と讀みます。
昨日から 七十二候 霜降 末候 楓蔦黄です。「もみじつたきばむ」と讀みます。
もみじや蔦が色づいてくる頃です。葉が赤色に変わることを「紅葉」と呼び、銀杏のように黄色に変わることは「黄葉」と呼びます。また、秋の山が紅葉することを「山粧ふ(よそおふ)」といひます。
十一月一日の古典の日にブログが書けなくて残念です。申し譯ございません。
今日は、明治節です。文化の日なんてへんちくりんな名前ではありません。