山茶始開(皇紀弐千六百七十六年十一月七日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 今日から二十四節氣(にじゅうしせっき)は、立冬(りっとう)ですね。冬の始まりです。木枯らしが吹き、木々の葉が落ち初雪の知らせが聞こえてくるころです。冬の準備である「こたつ開き」をする時期でもあります。

 そして、七十二候(しちじゅうにこう)は、立冬 初候 山茶始開です。「つばきはじめてひらく」と讀みます。

 よみは「つばき」ですが、山茶花が咲き始める頃です。冬枯れの景色の中で、濃いピンク色の山茶花の花はよりいつさう目立ちながら、綺麗に咲きほこります。
「山茶花 写真」の画像検索結果

さざんか 山茶花 さいた道
たきびだ 焚火だ 落葉たき
あたろうか あたろうよ
霜やけ おててが もうかゆい
(巽聖歌・詞 童謡『たきび』より)

 なつかしいにおひがするやうな歌ですね。たき火だとか、しもやけなんて、今の子供はわかるんだらうか?

 山茶花を 雀のこぼす 日和かな

 私が愛してやまない正岡子規の句です。

 子規は、1867(慶応3)年9月17日に生まれ〜1902(明治35)年9月19日に亡くなりました。名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改めました。22歳に喀血して、死を迎えるまでの約7年間結核を患っていました。享年34歳。辞世の句は、

糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

 子規の忌日は、この句にちなんで「糸瓜忌」(9月19日)といひます。また、雅號の一つから「獺祭(だっさい)忌」ともいいます。

 子規は、血を吐いて結核患者だと分かったとき、

卯の花をめがけてきたか時鳥
卯の花の散るまで鳴くか子規

という句を詠みます。子規=結核です。

 子規がいなかったら、我が國の文學、特に、詩の分野は崩壊していたかもしれません。天が、我が國の文學を立て直すために、この世に子規を贈つてくださいました。そして、その役割を終へると、すぐに天に召しました。

 この人がいなかつたら我が國は・・・を偉人といひます。

 この人がいなかつたら我が国は滅んでいた・・・を英雄といひます。

 今は、偉人や英雄の學習を子供にさせません。日本が好きになる子が増えたら困る勢力が教育界と學界を牛耳つてゐるからです。我が國の根本問題はここにあります。枝葉末節の議論をするのではなく、しつかりと日本を論じる社會にさへなればいい。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6557

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2016年11月 7日 08:59に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「徒然なるままに(皇紀弐千六百七十六年十一月七日)」です。

次のブログ記事は「インノケンチウス三世(皇紀弐千六百七十六年十一月八日)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。