インノケンチウス三世(皇紀弐千六百七十六年十一月十三日 弐)

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 歴史を正しく理解することは日本人の一つの使命です。なぜなら、日本でしか正しい歴史を語ることは不可能だからです。歐米では、「正しい歴史を知っている。それだけでその人を殺す十分な理由になる」です。支那の歴史はプロパガンダです。司馬遷の史記以來ずつと。朝鮮の歴史はファンタジーです。

 我が國でも、最近までは、敗戰利得者によるねじまげウソ歴史が横行してゐました。學校で習つた歴史は、すべて否定してもらつて結構です。ウソを習ふから、子供たちが歴史嫌いになります。自國に誇りを持つことができません。

 でも、最近の我が國は「正しい本」が續々と出始めてゐますし、今まで學界の壓力によつて日の目を見なかった本が復活してゐます。うれしいですね。少しずつですが、我が國が復活しはじめてゐます。

 さて、キリスト教をめぐる明確な歴史歪曲のもう一つでしたね。次の日に書くと云ひながらすみません。少しあいてしまひました。
 ローマ教會が常にキリスト教世界の頂點に位置してゐたといふわけではないといふことです。

 ローマ帝国の東西分裂とキリスト教の國教化により、權力と權威を同時に掌握するビザンチン帝國(東ローマ帝國)がキリスト教の頂點でした。

 つまり、中心は、コンスタンチノープルです。ローマは、一地方の拠點にすぎませんでした。インノケンチウス三世は、ついに、ビザンチン帝國を打倒し、そして、キリストやペトロ以來ローマが常にキリスト教の頂點に君臨してゐたといふ歴史歪曲を行つたのです。

 ビザンチン帝國は、場所を移して抵抗しますが、まう、復活するだけの力はありませんでした。

 南フランスに、そんな腐敗まみれのカトリック教會主義とは、一線を画す流派がありました。もちろんキリスト教です。

 インノケンチウス三世は氣にいりません。十字軍を派遣し、それはそれは凄惨を極めた殺戮を行い、この流派を壊滅させます。「異端の罪は異教の罪より重い」。カトリック教會主義の協議と云つても過言ではない言葉です。

 そんな中、フリードリッヒ二世が登場します。

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このページは、宝徳 健が2016年11月13日 06:50に書いたブログ記事です。

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