流れる星は生きている(皇紀弐千六百七十六年十一月十九日)

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 肉體的にも精神的にも、久しぶりにゆつくりした朝です(笑)。今日もクライアント訪問はありますが、読書と手紙書きは充實しさうです。

 私の父方も母方も引き揚げ者です。

 父と伯父(母の兄)は、兵隊でしたから、引き揚げはしてゐませんが、その他家族は、それはそれはひどい體驗をしたやうです。毎年、敗戰屈辱日になると、母が、三十八度線を超えるまでの悲惨な話しを聞かせてくれました。

 地政學のかけらもしらない愚かなアメリカは、三十八度線で妥協しました。そして、朝鮮戰爭で計り知れない後悔をします。我が國が、日露戰爭時になぜ三十九度線にこだわつたかを全く理解してゐません。
 藤原ていさんが亡くなりました。ご主人は故新田次郎。長男は、國際的な数學者である藤原正彦先生です。

 中學だつたかなあ。髙校だつたかなあ。藤原ていさんの「流れる星は生きている」を讀みました。最近、まう一度讀みました。一家は満洲にいました。夫がソ連に抑留されて生きてゐるか、死んでゐるかもわかりません。そんななか、ていさんは、子供たちを引き連れて命がけで引き揚げてきます。その話が書かれたのが「流れる星は生きている」です(母の體驗のはうがすごい氣がしますが)。
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 この一家の文才はすごい。新田次郎はまう云ふ必要がありません。「孤高の人」「八甲田山死の彷徨」「武田信玄」・・・。そして、ていさん。藤原正彦先生は、「国家の品格」「祖国とは国語」。この二つの迫力は他の追随を許しません。

 そしてなんといつても「郷愁(サウダーデ)」。新田次郎が書きのこしたことを藤原先生が引き継いで完成させました。その内容の面白いこと面白いこと。
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 藤原ていさんに心から哀悼の意を捧げます。安らかにお眠りください。

 時代が過ぎさらうとしてゐます。

 司馬遼太郎や山崎豊子や阿川弘之や吉村昭や城山三郎などの著作にだまされるのではなく、かいうふ正しいことを正しく書かれた本を大切にし、時代を引き継ぎませう。

 戰爭の記憶を忘れるなとよく云はれますが、違ひます。

敗戰の記憶を忘れるな

です。戰爭は負けてはいけないのです(それ以上にやつてはいけない)。

 なぜなら、國際社會といふのは、ヤクザの仁義なき戰ひが、幼稚園児の御遊びのやうに思へるほど、すさまじいからです。

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このページは、宝徳 健が2016年11月19日 07:57に書いたブログ記事です。

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