徒然なるままに(皇紀弐千六百七十六年十一月二十日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 昨日、引き揚げのところで、満洲と書きました。よくわかつてゐる人以外の本は、満州となつてゐます。ここにも支那の隱れた意図と、それに從つてしまふ我が國の勢力があります。かういふ細かいところまで暗に洗腦するのが左翼です。
 今、宮脇淳子先生の「日本人が教えたい 新しい世界史」を讀んでゐます。




 この方の本は、とことん眞實を追及してゐるので面白い。でも、これだけの功績を我が國に遺されても、いまだに學界の地位は講師です。歴史學界や、法學界などは、敗戰利得者の權威がはびこり、本當のことを語るといじめにいじめられます。まあいいや。この本にも、きちんと満洲と書いてあります。

 州と洲。後者には水をあらはすサンズイがついてゐますよね。支那は、今まで、海洋民族だつたことは一度もありません。清を除いて。おつと、ここで知らない人に。漢民族によつて滅ぼされたのが、女眞族です。つまり、清。満洲は清の地なのです。清の時代、漢民族は、満洲への立ち入りを禁止されてゐました。

 支那大陸は、漢民族以外が治めたらまあ、それなりによい政治が行はれます。漢民族の王朝の時は筆舌に盡しがたい王朝となります。

 今の、支那共産黨王朝は、満洲と書いてしまふと、滅亡させた清を認めてしまふことになるので、満州と書かせます。

 みなさん、満洲と書きませう。

 駆け付け警護。政府は必死になつて安全法制を實現しやうとしてゐますが、反對勢力が強く、軍の運用がなかなかネガティブリストになりません。今回の駆け付け警護もポジティブリストです。これでは、自衞隊員に死んで來いと云つてゐるやうなものです。稲田さん、大變ですね。

 民進黨や共産黨などは、都合のよいときだけ「自衞隊員の安全」と云ひます。自衞隊員のリスクを増加させてゐるのは、自分たちだと云ふことがわかつてゐないんだらうか? メディアもそこには触れません。メディアとは、必要惡ではないはずです。でもレベルが低いなあ。

 明治維新とは、下級武士の反亂でした。なので、明治時代のメディアは、高級武士の人間ばかり。下級武士のやる幼稚な政治をあざ笑ふといふ、格が髙いものでした。それが、武士がいなくなり・・・・。

 武士をなくしたのは、失敗でしたね。

 ネガティブリストとは、「これだけは守ってくれ、あとは、國際法に順守してさへいれば自由に戰つてくれ」といふもの。ポジティブリストとは、「これを守れ、そして、これ以外は何もしてはいけない」です。

 實際に、軍の現場で、こんなことをやつてゐるのは我が國だけです。ポジティブリストでは、相手にこちらの手の内がすべてわかつてしまひます。つまり、手を讀まれる=リスクです。ポジティブリストで我が軍をしばらうとしてゐる野黨が、「自衞隊員のリスク」と云ひます。

 なんとかしてあげないと、命がけで國を護つてくれてゐる自衞隊員の、みなさんにあはせる顔がありません。でも、メディアにだまされて、臣民は、ポジティブリストを支持します。

 それと、シビリアンコントロールの解釈も我が國は違ひます。

 シビリアンコントロールとは、他國の關係を、外交で付き合ふのか、戰爭をするのをシビリアンがきめるといふことです。いざ戰爭がはじまつたときに、遂行にあれこれ口を出すのがシビリアンコントロールではありません。

 なので、今囘の駆け付け警護は明らかにシビリアン・コントロール違反です。

 老害保守。倉山満もうまいことを云ふものです。渡部昇一、櫻井よし子、平川(なんでしたつけ)・・・。政府ももつとテーマを明確にした有識者會議をしないと、老害保守の思ふがままです。學者であり言論人であるこの人たちは、この年までいつたい何を學んできたのだらうか?

 産經新聞によく出てゐる人たちです。メディアとオピニオン雑誌の限界ですね。最近、オピニオン雑誌を賈はなくなりました。

 会員になつてゐる、宗像大社(氏神)、靖國神社、橿原神宮から會報などが届きました。

すめ神に はつほささげて 國民(くにたみ)と 共に年ある 秋を祝はむ

 明治天皇の御製です。いつもいつも、私たち臣民のことを考へてくださいました。東京にいたら靖國には、毎日でも行きたい。將來家を作るなら、靖國の近くに作りたい。

 橿原神宮からは、お屠蘇と新年参拝のお誘い。うれしいな。行きたいな。

 さて、仕事をします。あとひとつ書こうかな。

言霊の さきはふ國に 生まれしは さきはふやうに ことのはつかひ(拙首)

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6573

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2016年11月20日 07:04に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「十七条憲法(皇紀弐千六百七十六年十一月十九日 弐)」です。

次のブログ記事は「フリードリッヒ二世(皇紀弐千六百七十六年十一月二十日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。