受け入れることと受け止めること(皇紀弐千六百七十六年十二月五日)

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 以前にも書いたかもしれません。自分以外の人間を幸せにしてあげやうとすると、何もしないうちは、自分の幸せを削つて、相手に分け與へるしかありません。でも、それでは自分が損をするので、なかなかそんなことはしません。自分が損をしても相手を幸せにするのは、親が子供に對するときぐらいでせう(兄弟同士も子供の時はさうかもしれません)。

 日本は世界で唯一の分け合つて餘らせてきた國(歐米や支那は、奪ひあつて足りなくしてきた國、ウシハクなので)。では、日本人は、ずつと自分が損をしてきたのでせうか?
 そんなことをしたら永く續くはずがありません。世界で唯一宗教がなくても道德が保たれたと云ふ奇跡のやうなことを成し遂げながらです。

 自分の幸せを分け合つても、自分が損をしないためには、成長すればいいのです。成長すれば、相手に分け與へる餘地が生じます。わ

 鍛え上げた己の力を自分以外のために使ひ合ふ。さう。これが武士道です。

 この武士道を發揮するための大切な行いに「受け止める」ことがあります。最近、企業の現場をみてゐると、キャッチャーよりもピッチャーが多いことが氣になります。特に、地位が上がれば上がるほど、果たすミッションが強くなります。自分ひとりの力ではできないことが多くなります。

 その際に、ピッチャーになりがちです。部下が成長しなくなります。上司に力を奪はれてしまひます。へたなピッチャーでも勝たせる。それが優秀なキャッチャー(上司)です。

 相手を受け止めることが大切です。「そんなことをしたら仕事がうまくいかなくなる」といふ人が多い。確かに部下は上司より未熟なケースがほとんどです。部下のいふことすべてを「受け入れて」しまつたら、仕事のレベルは低下するかもしれません。

 だから一度「受け止める」ことが必要です。その仕事や現場のことは、部下のほうが情報が多いのです。受け入れることと受け止めることは違います。たくさん受け止めてあげることが上司の仕事であり、最終的に分け合つて餘らせる幸せにつながります。

 敗戰後、歐米型のマネジメントが入りすぎて、この大切なことが忘れられてゐるやうでなりません。

 あっ、辞書で引くと、同じ意味ですが、「受け入れる」と「受け容れる」も違う意味ではないかと感じてなりません。

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このページは、宝徳 健が2016年12月 5日 07:15に書いたブログ記事です。

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