おむすび と おにぎり(皇紀弐千六百七十六年十二月九日 參)

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 子供のころずっと「おむすび と おにぎり ってどう違ふんだらう」と思つてゐました。

 おはぎ と ぼたもち の違ひは、このブログで何度か紹介してゐます。牡丹は春に咲くので、春につくるあんころもちは、ぼたもち。 萩は秋に咲くので、秋につくるあんころもちは、おはぎです。
 實は、おむすびは、神事なのです。おむすびを作るには、米と水と塩が必要です。神棚のお供えするのもこの3つです。米を分解すると、「八十八」です。神の惠のもとで、八十八の、つまり多くの手間がかけられてお米が作られるからです。そこに次は人の手が加はります。人の手で心をこめて、ぎゅぎゅと結ぶ。そこに神が生じます。

 古事記に出てくる、ふる~い、ふる~い、神樣に、「タカムスビの神」がいます。宇宙をぎゅっと結んだ神樣です。

 大和族は西日本で發達しまし。なので、西日本では、このタカムスビの神にちなんで「おむすび」と云ひます。

 出雲族は東日本。出雲族には、「ニギハヤヒノミコト」とい神樣がいます。だから、関東では「おにぎり」といふのだとか。

 おもしろ~い。文明が太古の昔から連續した日本ならではのお話ですね。

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このページは、宝徳 健が2016年12月 9日 12:27に書いたブログ記事です。

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