レコンキスタ(皇紀弐千六百七十六年十二月十日 參)

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 フリードリッヒ二世についてはまた詳しく書く機會を作りますね。塩野七海さんは以前書いたやうに彼を評価してゐますが、敗戰前の天才外交官 石井菊次郎は、日本がドイツと同盟を結ぶとき「フレデリック大王(フリードリッヒ二世)以來、ドイツと同盟を組んで幸せになつた國はない」と反對します。確かにさうです。今でもさうです。

 そのドイツは、メルケルがぐちゃぐちゃにしてしまひました。メディアがなぜ、ドイツとメルケルを評價する、私には皆目見當がつきません。

 さて、カトリック教會主義の十字軍は、ただただ凶暴でした。最も凄惨だつたのはイベリア半島です。
 地中海を制壓したイスラム教徒は、沿岸のサハラ以北を領有し、さらに、今のスペインとポルトガルに當たる地域を占領しました。その後、七百年の支配が續きます。日本の鎌倉から江戸ぐらいまでとご理解ください。

 今でもスペインやポルトガルに行くと、建築物などにイスラムの影響が見られます。イスラムはとても穏やかな支配をしました。イスラムを今のやうに凶暴にしたのはカトリック教會主義です。本來は、とても穏やかな宗教です。

 昔、仕事で、スペインのトレドに行きました。教會自體が街になつてゐました。息をのむやうな美しさでした。そこには、エル・グレコの繪画がおしみなく飾つてありました。聖書が物語になつたえです。素晴らしい。イスラムが穩やかな宗教でなければこれは失はれてゐたでせう。

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 カトリック教會主義は、何度負けても、十字軍と異端審問で戰ひ續けました。教皇庁は「レコンキスタ(湿地奪還)」を宣言し、何度もイベリア半島に十字軍を出しました。

 一方で、イスラム帝國は、なんと、支配地でキリスト教徒の信仰の自由を認めました。キリスト教徒がのさばったら、どうなるかは、ローマ帝國滅亡の歴史を見ても明らかです。

 にもかかはらず、キリスト教徒は、ひたすら裏切り者を拷問によって殺し續けたのです。ジャンヌ・ダルクも処刑された魔女狩りは異端審問のひとつです。

 「異教徒および異端(同じキリスト教でも派が違うこと)は、殺さなくてはならない」が彼らの常識でした。

 「疑わしきは拷問により苦しめて殺す」「主の名によつて疑われたこと自體が罪である」

 世界とはこのやうなことなのです。今囘は、倉山氏の著作をずいぶん引用しました。

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このページは、宝徳 健が2016年12月10日 08:10に書いたブログ記事です。

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