騙された自分史(皇紀弐千六百七十六年十二月十四日)

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 今の若い人はいいなあ。過去、我が國では、正しいことを云ふと、學界から抹殺される時期が敗戰後、何十年も續きました。だから正しい本が流通しなかつたのです。三十歳のときに、國會図書館で、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)の眞實に出會つたとき、衝撃を受けました。「なんだ、俺が學んできた歴史は全部うそぢやあないか」。まずは、右翼でもない、左翼でもない、眞實でもない、曲學阿世の徒の歴史に騙されてきたことに氣づきました。

 お斷りしておきます。このブログ記事が主語が他人であることをお許しください。自分が騙されてきたことを檢證してゐます。なんと情けないことに、私は、過去、眞實を語つてゐるやうで、第三者に騙されて續けたものもたくさんあるからです。

 今は、いいなあ。埋もれていた正しい歴史を語る人たちの著作が世に出てきました。
 帝國憲法や國際法をきつちり語る倉山満のやうな本、經濟で歴史をきちんと檢證する上念司の本、樋口さんのやうな、目が覺める國家安全保障の本、竹内さんのやうに、眞の古事記を語る本・・・・・枚挙に暇がありません。讀書がどれほど樂しいか。日本がどれほど素晴らしいか。

 先ほど、學校の歴史に騙された(結果的に騙されるのは自分の責任。以後の文章同様)と申し上げました。どんなに日教組が不埒でも、岩波書店や文藝春秋が醜くても、騙されるはうが惡い。でも、この學校教育やメディアに騙されたが、第一次寳德おバカ時代です。

 第二次寳德おバカ時代が、作家に騙された自分史です。

 司馬遼太郎:惡人を善人にしたてあげ、善人を悪人に仕立て上げながら文章だけ素晴らしく書く作家

 山崎豊子:完全左翼。でも、筆が強いので騙される。

 城山三郎:だうやつたら井上準之助を正當化できるのか。

 吉村昭:語るに値なし。

 阿川弘之:彼が書く、山本五十六(近衛文麿と二大敗戰責任者です)、米内光正、井上成美(阿川三部作と世間では絶賛されてゐます)は、だうやつたら、この戰犯三人をこれだけ美化できるのだらうかと・・・。

 でも、まあ、彼らは、私に讀書の樂しみを與へてくれましたが・・・。このブログでも過去、彼らを美化した記事も書きました。恥ずかしい・・・。

 第三次寳德おバカ時代が、似非保守騙され時代です。三橋貴明、中野剛・・・。これまでの記述も含め、彼らが惡いのではないのです。結局、自分の正しい歴史を學ぶ力がなかつた。まう、彼らの本も讀まなくなりました。

 第四次寳德おバカ時代が、オピニオン誌です。正論、WILL、歴史通、致知・・・。今は、まつたく讀んでゐません。致知出版社は今でもよい本がたくさんあるのですがね・・・。

 最後に、親米保守。似非保守。まう、言はなくてもいいですね。

 十五年前にある人から「本を讀まない人間は、人を馬鹿にする。本を讀む人間は、自分の小ささを知る」「年間二百冊以上本を讀むと自己を確立することができる」と教はりました。やってみました。まさに、最初は、本の數が自分の迷ひの數でした。

 今は、騙されにくくなつてゐます。騙された自分は、今を確立するためにあつたのかしら。だとしたら、彼らに感謝しないとね。五十八年生きてきて、やつと、主語を自分にできる自分が創造できました。遅いわ。

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このページは、宝徳 健が2016年12月14日 05:02に書いたブログ記事です。

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