指桑罵槐(皇紀弐千六百七十六年十二月十五日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 昔、どこかの会社のカレーのCMで「インド人も、びっくり」といふのがありました。今日、ご紹介するのは「支那人もびっくり」でせうか(笑)。

 支那には、「指桑罵槐:しそうばかい」といふ言葉があります。「桑を指して槐(えんじゅ()を罵る」といふことなのですが、意味は、「指してゐるのは實は本當に罵るてゐる対象ではない」です。

 支那人は、どんなに仲が良い相手でも、いつ裏切るかわかりません。逆に、今敵でも、明日は、味方になるかもしれません。だから、徹底的に相手をやつけることはありませんし、完全に相手を信じることもありません。
 だから、支那人は、批判したい相手を面と向かつて罵らず、後ろを向いて別のところに向かって大声を上げてゐるフリをするのです。そのものズバリを云はずに、あてこすることが多いので、支那人の云ふことをそのまま眞に受けてはいけません。それをあらはした諺です。

 昭和五十七年(1982年)に歴史教科書問題が起こりました。我が國の教科書檢定において、「『中国を侵略』と記述されてゐた教科書を、文部省が『進出』に書き改めさせた」と、國賊 朝日新聞が報じました。

 後にこんな事實はなく、國賊 朝日新聞の誤報だつたことが判明します。これに限らず、朝日の記者は、記事の裏をとるといふ、新聞記者の基本を行いません。行う能力がないのかな?ああ、もしかしたら、支那から頼まれてわざとやつたのかも。

 しかし、もつと愚かなのが、時の官房長官 宮澤喜一です。彼のことを、平成の高橋是清だのと評價する人がゐますが、何の冗談かと思つてしまひます。彼自身は、自分を優秀と思つてゐたらしく、東大文一卒業者でなければ、ろくに話もしなかつたといふ逸話が残つてゐます。
 
 その宮澤喜一が、あの惡名髙い、近隣諸國条項を教科書檢定基準に追加してしまつたのです。

 びっくりしたのは支那人です。このとき、實は、支那は日本に怒つてゐたわけではありません。當時の最高實力者 鄧小平は、このとき、人民解放軍の軍事費を削らうとしてゐました。そこで軍事費を減らされたくない軍は、鄧小平を直接叩くのではなく、鄧小平と良好な關係を保つてゐた日本を批判しました。

 日本がどれほど惡いかと大騒ぎすれば、その日本と密接な關係を築いていた鄧小平も「惡人の仲間」として糾弾されることになります。鄧小平は、結局軍事費を削りませんでした。同時に日本批判もおさまりました。これが典型的な「指桑罵槐」です。

 ところが支那が本當に怒つてゐると誤解した日本政府は、これに謝つてしまひました。支那人もびっくりです。でも、氣づきます。へー、かうやつたら、日本人は謝つて、金をせびれるんだと。そして、今につづきます。

 東大を出ても、知識だけで教養のかけらもないとなんの役にも立ちませんね。

 なので、今囘の、支那の戰闘機が、宮古島かどこかを通過し、支那が、日本が惡いと言った問題で、防衛省が、言い訳じみたことを言つたことも愚かなのです。小村寿太郎や石井菊次郎なら「答へる價値もない」と一笑にふしたでせう。これが外交です。

 ちなみに、まうひとつ。敗戰前の我が國を、ファシズム、軍国主義と表現する人がゐます。聞いていて頭が痛くなります。ファシズムとは、支那共産党や北朝鮮のことです。ナチスドイツもさうです。つまり、國家の上に独裁政党が存在する状態です。

 ファシズムが最も嫌うのが軍です。軍もファシズムを嫌います。つまり、ファシズムと軍は両立しえないのです。だから敗戰前の日本がファシズムで軍国主義と云ふ表現は、何の意味もありません。

 ファシズムは、軍の掌握が絶對条件となります。だから、國家軍を創りません。支那國家には軍はありません。あれは、支那共産党の軍隊です。だから、自國民を平氣で殺します。それでも、政府機関と軍は激しく對立します。

 言葉は正しく使ひませう。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6605

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2016年12月15日 06:04に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「山眠る(皇紀弐千六百七十六年十二月十四日 參)」です。

次のブログ記事は「よろしかつたですか(皇紀弐千六百七十六年十二月十五日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。