十七条憲法(皇紀弐千六百七十六年十二月十六日)

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 これまでの人生の中で、偉大な方に多數お會ひしました。その方々にお會ひしたときは「自分はこんな素晴らしい人間になれるのだるか」と惱みました。ある時気づきました。「なれるかどうかよりも、目指すかどうかだ」と。 その方々にお會ひして、同じやうに感じたことがあります。「ああ、この人は、生きることに何も怖いことがないんだらうなあ」です。

 私の生きる唯一の目的と目標は、「かつての素晴らしい日本人のやうに、立派な日本人になること」です。きつと、さうなると、怖いことがなくなるのでせう(だいぶんなくなつてきましたが)。

 聖德太子の十七条憲法。自然道で生きろとの太子の教へです。十三条の譯と解説です。
第十三条
 もろもろの官職に任ぜられた者は、同じくたがいの職掌を知れ。あるひは病にかかつてゐたり、あるひは出張をしてゐて、仕事をなしへないことがあるであろう。しかしながら仕事をつかさどることができた日には、人と和してその職務につき、あたかもずつとお互いに協力していたかのごとくにせよ。自分に關係のなかつたことだといつて公務を拒んではならない。

 病氣や出張で急に人がいなくなつっても、周圍がいつでも代われるやうに、お互いの仕事を把握しておきなさいといふ、現代だと、多能工とでもいふのでせうか。別に役人の世界だけではなく、家族、会社、學校などの共同體での心構えです。

 十七条憲法は、推古十二年(西暦604年)に書かれてゐます。なんと1412年前です。

 なのに、近代的ですね~。つまり、人間の本質はまつたくかはらないといふことです。我が國は、素晴らしいですね。

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このページは、宝徳 健が2016年12月16日 14:55に書いたブログ記事です。

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