天長節(皇紀弐千六百七十六年十二月二十三日)

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 今日は、天長節です。天皇誕生日と天長節では、全く意味が違ひます。
 私たち、日本人は「節」を大切にします。節分、二十四節氣、七十二候・・・。その節目、節目で自分を見直し、過去を檢證し、そして、新しい節を喜びました。

 天皇弥栄(すめらぎ いやさか)。天長節は、これまでの皇祖皇宗(天照大御神をはじめとする天皇の祖先)の節目を祝ひ、そして、これまでの、我が國の弥栄(いやさか:ながく繁榮を祝ふ)ことです。

 天皇誕生日では、「今上天皇陛下お誕生日おめでたうございます」と、今上天皇陛下の誕生祝ひにしかなりません。この場合は、「すめらぎ」ではなく、天皇が「すめらみこと」となります。

 私たちは、「すめらみこと」を護つてゐるのではなく、「すめらぎ」つまり、永い永い皇祖皇宗から傳たはつてきたことを護つてゐます。だから、天皇誕生日と天長節では意味がまつたく違ふのです。

 以前、ある人に、「もし、外國軍が侵略してきて、天皇陛下を捕まえて、『国民の誰か一人でも代わりに殺されてもいいといふなら天皇を助けようと言つたら、僕は即座に手を擧げる』といつたら、『馬鹿ぢやあないの』」と云はれました。私はびつくりしました。日本人はここまで堕落したのか、と。私一人が死んでも、この世界の奇跡 日本は大丈夫です。でも、すめらぎが消滅した瞬間、我が國は滅亡します。

 天長節を天皇誕生日などと呼んでゐるからかうなります。紀元節を建國記念日などと呼んでゐるからかうなります。明治節を文化の日など読んでゐるからかうなります。昭和節を昭和の日などと呼んでゐるからかうなります。新嘗祭を勤労感謝の日などと呼んでゐるからかうなります。

 世界で唯一神話の世界から歴史が連続している世界の奇跡 日本。その國民であることさへ忘れてしまつてゐます。GHQがすめらぎと臣民を切り離さうとした策略にまんまと乘つて、それで近代的になつたと思つてゐる國民のなんと多いことか。

 核兵器が撃ち込まれやうが、原發が事故を起こさうが、霞が関が火の海にならうが、我が國は滅亡しません。ところが「すめらぎ」がなくなったら、それだけで日本は終はります。すなはち、「すめらぎ」が安泰であれば、我が国は安泰なのです。だから日本人が最後に護るべきは、皇祖から連綿と続く「すめらぎ」なのです。

 それが、教育勅語でいふ「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」です。だから、男子は、國に奉じる力を持つやうに育てなければならないのに、今は、喧嘩もできない弱い男に育ててゐます。イクメン?あほな。昔の婦道が怒り出しますよ。

 日本の皇室が二千年以上続いたのは偶然ではありません。それは必然であり、それなりの理由があつてのことです。日本は神の國です。「千代に八千代に」と歌はれる「すめらぎ」は、我々が努力を怠らない限り、必ずや神風によつて護られ、未来永劫継承されます。

 今日は、天長節。すめらぎの弥栄(いやさか)を心からお祝ひ申し上げます。

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このページは、宝徳 健が2016年12月23日 04:42に書いたブログ記事です。

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