御節料理(皇紀弐千六百七十七年元旦 弐)

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 本來なら紀元節からが弐千六百七十七年になるのでせうが、面倒なんのでご勘弁を。

 弐千七百年まであと二十四年。八十二歳か~。そこまでは生きていたいなあ。弐千八百年だと、百八十二歳。とても無理だわ。

 ある方のご厚意で、御節料理を賈ひ求めました。いただくのが樂しみです。

 何囘、覺へてもすぐに忘れるので、御節についてまう一度書きます。
 五節供があります(昔は、節句ではなく、節供と書きました)。

一月七日:人日(じんじつ)の節句 七草粥を食べますね。

三月三日:上巳(じょうし)の節句 3月の最初の「巳の日」という意味です。「禊ぎをして穢れを祓ひ、軆代りの人形に汚れをうつして河川・海などへ流す」風習などがあり、江戸時代以降「雛祭り」として庶民の間に定着しました。別名「桃の節句」は有名ですね。

五月五日:端午の節句 5月最初の「午の日」という意味です。古くは「藥草摘みの日」であり藥草としての菖蒲(しょうぶ)が「尚武」の音に通じるとして、男子の立軆出世を願ふ行事へ轉化していきました。

七月七日:七夕(しちせき)の節句 別命 笹の節句です。

九月九日:重陽(ちょうよう)の節句 「九」という数字は、易によれば「陽數の極」にあたり、これが重なる(非常にめでたい)という意味です。支那の風習(この日に菊の花を飾り、邪氣を祓つて長寿を禱るといふもの)が元になつていて、宮中では重要な節句として位置付けられてゐます。別名「菊の節句」です。

 その「節日」に神様にお供えした料理を「御節料理=おせち料理」と云ひます。今は、おせちは、正月だけになつてしまひましたが。

 そして、「神樣をお迎へした新年に臺所を騒がせてはならない、竈の神樣を怒らせてはいけない(から、火の神樣を怒らせないために、正月には臺所で火を使ふのを避けた)ので、大晦日までに作るやうになりました。

 今は、スーパーが1日からあいてゐるので、また、少子化になつたので、賈ふやうになりましたね。

 子供の頃は手傳はされました。栗きんとんの裏ごし、黒豆の火の番・・・・。

 料理の意味

鯛:「めでたい」です。
鰤:出世魚でおめでたい。
數の子:卵の數が多いから、子孫繁榮を願つて
海老:腰が曲がるまで長生き
鰆:魚へんに春 新春を祝つて
鮭:川を登っていく=出世、たまご=子孫繁栄
青身大根、菊蕪:正月料理の消化を助ける
昆布:「よろこぶ」
子持ち鮎:子孫繁栄
黒豆:黒→魔よけの力、まめ→「まめ(勤勉)」に働き、「まめ(健康)」に暮らせる
田作り:ごまめ(カタクチイワシの稚魚)、田畑の高級肥料なので方策を願つて。

 まだまだありますが、これくらいに。さてと、寢ます。

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このページは、宝徳 健が2017年1月 1日 00:44に書いたブログ記事です。

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