十七条憲法(皇紀弐千六百七十七年一月五日 參)

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 十五条の譯と解説です。

 よく、「昔の日本は、滅私奉公だつた」といふ言葉を聞きます。悲しくなります。正しい歴史も理解しないまま、不勉強な自分の主觀だけで、そんなことを言つて世の中を亂します。

 滅私奉公ではなく、この十七条憲法を讀めば、「背私向公(はいしこうこう)」であることがわかります。十七条憲法は、推古天皇十二年(西暦604年)に創られてゐます。今から千四百年ほど前です。そして、この十七条憲法は、我が國 すめらぎ(皇)の八千年以上も前から、培われてきた、自然道で成り立つてゐます。そんな前から、この素晴らしい生き方を私たちの先輩はやつてきたのです。

 「私」の「禾」は、穀物です。「ム」は、肘です。つまり、生きるために大切な穀物を、自分ひとりに引き寄せて、自分ひとりだけのものにするといふ意味です。歐米や支那の支配形態である「ウシハク」です。
 我が國の國體は「シラス」です。この、日本人にとって最も大切な言葉を知らない日本人が多いことがとても悲しい。

 「背私向l公」。「シラス」です。そして、それを一番實践されてゐるのが、皇(すめらみこと)であり、皇祖皇宗以來の「皇(すめらぎ)」なのです。

 「鍛へ上げた己の力を自分以外の者に使ひ合ふ」といふ武士道の精神です。我が國の先輩たちは、なんと遠大な旅にでたのでせう。だから、世界で唯一 神話の世界から歴史が連續した、人間社會の奇跡が實現したのでせう。宗教がなくても道德を保てた世界で唯一の國です(神道は、宗教ではありません)。

 さて、譯です。

第十五条
 私の利益に背いて公のために向かつて進むのは、臣下たる者の道である。およそ人に私の心があるならば、必ず他人の方に怨恨の氣持ちが起こる。怨恨の氣持ちがあると、必ず心を同じゆうして行動することができない。心を同じゆうして行動するのでなければ、私情のために公の政務を妨げることになる。怨恨の心が起これば、制度に違反し、法を害(そこな)ふことになる。だからはじめの第一条にも、「上下ともに和(やはら)いで力を添へ合へ」といつておいたのであるが、それもこの趣意を述べたのである。


 かういふ日本のことを深く檢證して創られた大日本帝國憲法には、「權利・義務」の發想が皆無でした。主權といふ言葉さへ使はれてゐません。これは、偉大なる明治人の歐米に對する挑戰でした。

 「自分たちを先進國と呼んでゐる歐米のみなさん。私たちは、權利・義務發想なんかなくても、立派に國を經營していけるんですよ」と。

 それを忘れて、憲法と云ふ名の文章でしかない 邪教 日本國憲法は・・・・・。

 企業經營でも同じですね。權利・義務發想の醜い「勞働」といふ言葉が、企業を汚します。だから「心を同じゆうして」 「はた(周り)」を「らく(樂)」ことができなくなりました。

 「人をうらやんではいけません」。母がいつも教へてくれた言葉でした。これは、我が家が貧しいからだとずつと思つてゐました。違ふんですね。「背私向公をせよ」「お國に奉公する力をつけよ」といふ婦道のメッセージだつたのですね。今頃わかる、バカ息子です。

 婦道が我が國の武士道を支へました。婦道が我が國のシラスを支へました。

 かつての婦道を有する女性からしたら、今の世の中は、嘆かはしいのでせうね。

かくばかり みにくき国と なりたれば  捧し人の ただに惜しまる

 英霊のあるお母様の和歌です。こんな國になるなら、なぜ、あの人は國に命を捧げたのかと。今の日本人に猛省を促す歌です。

つらきこと それは己の つらきこと 國を支へて 國を頼らず

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このページは、宝徳 健が2017年1月 5日 04:03に書いたブログ記事です。

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