日本語の學習(皇紀弐千六百七十七年一月廿日 四)

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 小學校四年生ぐらいの時でせうか? 父の本棚にあつた、三島由紀夫の「潮騒」を讀みました。あの程度のエッチ度でドキドキしたころが懐かしいのですが、なんだか禁断の書を讀んだ氣分になりました(笑)。

 もちろん三島由紀夫の作品ですから歴史的假名遣ひと繁體字です。最近賣られてゐる本は、三島も谷崎も、全部現代假名遣ひです。三島や谷崎の本にこんなことをしてしまつたら、三島や谷崎の作品にならないのです。特に三島由紀夫は、ずつと歴史的假名遣ひと繁體字にこだわつてきました。本當の日本語を使ひたいといふ、三島由紀夫に対する冒瀆です。

 でわ、練習します。
 老人か?とんでもない。老人はテレビにしがみついて、最新の情報と最新の流行に通暁してゐる。もつともそれをただ否定するためにだけではあるが。

 思ふに、それは、テレビを持たぬ、あるひはテレビを見ることを禁じられてゐる永患の病人たちである。病人たちは時間をたつぷり持つてり、愛憎は體にさはるので、いくぶん冷たくまたは眞摯な、他人に對する關心はゆるされてり、自分の内省は體によくないが、他人の内省に深入りするだけの精力はのこしてゐる。それにかれらは熱心にラヂヲをきき、あるときは思ひ餘つて、投書をしたりするのである。

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このページは、宝徳 健が2017年1月20日 08:46に書いたブログ記事です。

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