日本語の學習(皇紀弐千六百七十七年一月三十一日 弐 三十日の日誌)

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 三島由紀夫が、自衛隊市ヶ谷駐屯地で、割腹自殺をしたとき、何歳だつたかなあ、小さな私は「言つてゐることはすごいのかもしれないけれど、こんなことをして世の中が變はるのだらるか」と疑問に感じました。確か、TVで觀ていた記憶があります。ニュースだつたかなあ。

 三島由紀夫の小説は、なんといふか、触れるとスパッと切れてしまふ、刀のやうなものでせうか。

 谷崎純一郎の小説は、う~ん・・・・・・。軆の中に入つてきて、自分の恥部を引きづりだしてくれる、「ばっかやろー、いらんことをするな~」と叫びながら、ウンウンと納得させられる作品です。

 森鴎外も若いころよく讀みましたが、あまり、入ってきませんでした。よそよそしい。

 夏目漱石? あの、客観性あふれる小説は、自分自軆を、第三者の目で見る力をつけてくれます。何にしても本は面白い。

 三島由紀夫の文學的遺産である 小説とは何か で、正しい日本語を學習してゐます。
 かれらはあたかもテレビ討論會の人たちのやうに、朗らかに、幾分口ごもりながら、小説について語るであらう。かれらは見かけはいかにも平凡な、町のどこでも會ふ人たちであり、頭のよささうな青年、美しい少女、好もしい主婦、實直な勤め人であるだらう。

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このページは、宝徳 健が2017年1月31日 07:06に書いたブログ記事です。

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