反橋(皇紀弐千六百七十七年一月三十一日 四)

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 「五つの私は母に手を引かれて住吉へ参りました。・・・・母はじっと私の顔をみていました。『この橋を渡れたら、いいお話を聞かせてあげるわね。』・・・その橋の上で母はおそろしい話を聞かせました。母の言葉ははっきりとおぼえておりません。母は私のほんとうの母ではないと言ったのでありました。私は母の姉の子で、その私のほんとうの母は、こもあいだ死んだのだと言ったのでありました」

 川端康成「反橋(そりばし)」の一節です。
 この母の言葉が、川端文學に大きな影響を與へたと云はれてゐます。

 大阪市住吉區に、住吉大社があります。參拝に行くと、朱に塗られた半円形の反橋(太鼓橋)を渡らなければなりません。この橋は、慶長年間に 豊臣秀吉の母が寄進されたと云はれてゐます。

「住吉大社 反橋 写真」の画像検索結果

 この橋は、結構しんどいのです。「おい、この橋を渡らなければ、參拝させへんからな」と、關西辯で、神樣が言つてゐるやうな(笑)

 川端康成は、この橋で、母から衝撃の事實を告げられたのです。

 筆が違ふんですよね~。谷崎純一郎、島崎藤村、夏目漱石、三島由紀夫、川端康成・・・・・。この人たちの作品を讀んでそだつた時代の人がうらやましい。いま、このレベルの作家がいません。今の作家は、一度讀んだら、まあいいや。川端康成の作品など、なんど讀んでも面白い。

 まあ、お笑いが直木賞をとる時代です。

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このページは、宝徳 健が2017年1月31日 07:23に書いたブログ記事です。

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