今日から、七十二候 春分 末候 「雷乃發聲」です。「かみなりすなはちこえをはつす」と讀みます。
春の訪れとともに、惠みの雨を呼ぶ雷が遠くの空で鳴りはじめる頃です。季節の變はり目であり大氣が不安定であることから、雪や雹を降らせることもあります。
昨日から七十二候 春分 次候 櫻始開です。
「さくらはじめてひらく」と讀みます。
梅 桃 木蓮 櫻 我が國は本當に美しいですね。
私は、小學校に入学したときは、大阪府枚方市の殿山第一小学校でした。明治八年開校の學校です。校歌が素晴らしかった。今でも覺へてゐます。小學校三年生の一學期までしかいなかつたのに。
ところが。
平成29年4月9日(日) 15時から 私の事務所で本の大処分市「もってけ泥棒」をやります。
お好きな本を何冊でも。
弊社事務所には約3000冊の本があったのですが、なんとか2000冊ぐらいまでは整理しました。その2000冊を一氣に整理したいと思います。
お金? 不要ですが、お志だけで結構です(笑:差し入れでもいいよ)。
えっ?場所がわからない? そんなことないでしょう。
今日から長期ロードです。明石→小浜→岐阜→木更津→館山→東京→岐阜→津です。来週水曜日の夜に大阪に戻ります。
かつては、どんなに仕事をしても疲れるといふことがなかつたのですが、最近、疲れを感じるお年頃になつてきました。哀しいなあ。
「忙しい」「疲れる」は言葉に出したことがありませんでした。それが最近でるな~。いかんいかん。
「お忙しそうですね」と云はれると「心をなくして私たちのことを忘れてゐるでせう」と聞こえてしまひます。嫌な言葉ですね(笑)。
今日は、小山君です。英語の小山先生の息子さんです。最近知ったのですが、小山先生はずいぶん早くに亡くなつたさうです。ご冥福をお禱りいたします。
新人戰を前に、インターハイ十連覇の柳川商業(現 柳川髙校)へ練習試合に行く日が近づいてゐます。昭和五十一年十月七日です。
なんの疑いももたず、部長も監督もコーチもいない、一公立髙校が、昭和五十二年 第一囘西日本選抜(現 全國選抜)でベスト8になり、そして、夏のインターハイ出場を果たしました。なんの根拠もありません。でも、「絶對に行く」と決めてゐました。「行かなかつたら死ぬ」と眞險に思つてゐました。あの純粋さはなんなのでせうね。今、それを取り戻したくてしかたがありません。このブログを欠きながら。
これだけは書いておかないと。
昨日から、二十四節氣(にじゅうしせっき) 春分です。そして、七十二候(しちじゅうにこう)は、春分 初候 「雀始巣」です。「すずめはじめてすくう」と讀みます。
雀が巣を作り始める頃です。俳句や民話、童謡にも用ひられ、我が國臣民にとつて古くから軆近な存在です。
子供が小さいとき、「おむすびころりんすってんとん」や「すずめのお宿」は、繪本で何度も讀まされました。私も息子も、今でも暗記してゐるくらいです(笑)
體重が74kg台になりました。もちろん食生活改善をしてゐるからですが、いろいろありすぎ・・・・。
一昨年の手術前から比べると10㎏減です。72kg台が目標です。
ロックフェラー家三代目當主 デビッド・ロックフェラーが亡くなりました。
初代ロックフェラーは、ジョン・ロックフェラーです。スタンダードオイル(SO)を創業しました。世界最大の石油會社です。といふか世界の石油市場を支配しました。その後、トラスト法で、解體され、エクソンやモービルになりました。かつてセブン・シスターズといふ石油メジャーがありましたが、そのうち3つがSOから分かれてゐます。
2代目が、ジョン・ロックフェラー二世。そして、デビッド・ロックフェラーです。チェース・マンハッタン銀行のCEOをしてゐました。その他にも、ネルソン・ロックフェラーなどアメリカおよび世界の政財界に影響力がある人間ばかり。
小池氏と石原氏の泥仕合は實は・・・・。
なんであんなに都民の支持が髙いんだらう??? 都民つておばかさん? 小池さんは、政局だけで、政策は失政續きです。なのになんで???
部員の日誌です。今日は、岡村君です。彼は、粘り強い人でした。ほとんどクラブを休んだことがありません。
いろいろな人がいました。部長も監督もコーチもいない中での、何にも知らない髙校生のマネジメントです。いろいろ不備があつたと思ひます。申し訳ないことをしてしまひました。
大會が近いので、團體戰を意識した練習になつてゐます。今囘は、團體戰 ダブルスの埜田・山口を中心にした練習です。九州大学テニス部の先輩 山口さんがいらっしゃってゐます。
この時期のC日誌は、とてもつまりません。新人戰 中部地區大會が迫つてゐるので私がピリピリしていたからでせう。なんせ、中部地區大會は優勝して當たり前でしたから。しばらく S日誌で行きます。
浅川君ですね。彼は軆體も惠まれていたのですが、その類まれなるパワーを活かす指導をしてあげられなかつた。申し譯なく思つてゐます。とても優しい、絵を描くのが得意な後輩でした。昭和五十一年十月六日です。
軟式テニス部女子のしんかいさん(字は忘れました)が登場していますね(笑)。たしかにかはいかつた。
筑女とは、筑紫女学園です。かはいい子が多かつたので、中部地區大會で見るのが樂しみでした(笑)。
ロプロスとは、テニス部で飼つてゐた、なんだっけなあ、十姉妹だっけ、です。みんなで世話をしてゐました。
さて、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)です。皇太子の妻にまでなつた人です(皇太子は早世した)。光源氏も、この最上級の女性のところには、一時期足しげく通つてゐました。藤壺への満たされない思ひに替へやうと。
でも最近はご無沙汰です。手紙のやり取りさへあまりありません。辛い日々です。
娘が伊勢神宮の斎宮(さいぐう:帝に替はつて神に奉仕する立場)に任じられたので「あ~あ、都にいてもしかたがないから、私も伊勢に行かうかしら」。
でも、光源氏への未練があり、なかなか踏ん切りがつきません。
順番がてれんこになってすみません。
福島第一原發が、アメリカのGE製で、我が國が必死に改良したからあれ以上の事故にならずにすみました。それでも東電は、あれはGE製だつたとは云ひません。こんなことを云ふと何を言つてゐるんだと言はれるかもしれません。
では、さういふ方々に。東北地方・太平洋沖地震の前に、東電が原發(福島第一だけではない)を改良しやうとしたら、「なんだ、今までは危險なものを使っていたのか!」と改良させなかつたのはどこのどなたさんでしたつけ?かういふ人たちが原發のことをとやかく云ふことを詭辯と云ひます。まるで民主党です。
それに、福島第一原發は、地震で壊れたのではありません。津濤です。
私はサラリーマンの新入社員の時、出来立てほやほやの福島第二原發に、タービンオイルを納入しました。涙涙の納入物語は割愛するとして。いまでもぴんぴんしてゐますし、第二原發以外の他の引くでも、原發はびくともしてゐません。それどころか避難所になつた原發さえあります。
仁德天皇の「民のかまど」の話を知らない日本人は、おそらくいないと思ひますが、昭和天皇のこんな話はご存知ですか?
この記事は讀者のみなさまは、讀んでいただく必要はありません。私が正しい日本語をルーティンで学習しているだけのものだからです。
ひとつだけ知つていただきたいのは、私たちが學校で學んできた日本語は、嘘であることです。それも、日本語を潰さうとした、文部省(當時)を中心とした勢力がなした愚行です。陰謀がありました。このあたりは、福田恒存先生の「私の國語教室」をお讀みください。
三島由紀夫の文學的遺産である「小説とは何か」で正しい日本語を學習してゐます。
第九帖は「葵」です。繰り返し書いてきましたが、葵の上は、光源氏の正妻です。左大臣の娘です。その兄が、頭中將(とうのちゅうじょう)です。
さて、時は、ほんの少し過ぎました。桐壺帝は、譲位して上皇になつてゐます(桐壺院)。弘徽殿の女御(こきでんのにょうご:光源氏が大嫌い。右大臣の娘。朧月夜の姉)。と帝の間にまうけた皇子が朱雀帝(すざくてい)に即位してゐます。そして、藤壺との間にもうけた(本當は、藤壺と光源氏の不義の子)が、立太子、つまり、東宮となつてゐます。
本日、最後のブログ。焦る。仕事しないと。でも、ブログを書くと仕事のリズムが出來ます。手紙を書くと前の仕事のリズムを消すことができ、すぐに次の仕事のリズムが創れます。讀書? だめ、ずつと讀んでしまひます。
三島由紀夫の文學的遺書である「小説とは何か」を讀みながら正しい日本語を學習してゐます。
倉山満と云ふのはすごい男です(あのおちゃらけはいただけないが)。倉山満と上念司の本を讀まないと歴史と世界の動きは見えないと言つても過言ではありません。
仕事があるので、解説はしませんが、本の紹介だけしておきます。
東北地方・太平洋沖地震(最初はこの名称だつた。なぜ變はつたのか)の日ですね。お亡くなりになられた方々に心から哀悼の意を表しますとともに、遺族の方々、その後避難生活を余儀なくされた方々の悲しみとご苦労をお察し申し上げます。
部員の日誌です。森君です。私の次の代のキャプテンです。この日は、運動場を50周していますね(笑)。一周400メートルぐらいかなあ。だから約20㎞。當時の私たちにとつて20㎞など、なんともありません。50周走る間にも、ダッシュなどのバリエーションはありましたが。とにかく走りました。テニスとは、足とフェイスのスポーツです。その2つをいかにうまく使ひこなせるか。どんなに速いサービスが打てても、どんなにすごいフォアが打てても、このポイントに氣づいてゐない選手は勝てません。あっ、それと頭とマインド。ヘッドワーク(ゲーム設計とストーリー)と4C(コンセントレーション、コンシダレーション、コントロール、コンディション)。
雨が降つてゐるので、副キャプテンの山口君に、「どうや、運動場50周ぐらいしやうか?」と聞いたら「たまにはよかね」と當然のように答へが返つてきました。二人の會話を聞いた下級生は青ざめてゐました(笑)。
體育館の上に體育教官室があるのですが、その50周が終わつたときに、「お前らあまり無茶するな」と全員に紅茶をふるまつてくださいました。
それと今でもやつてゐるんでせうか? 福髙テニス部には傳統の「ランニング週間」があります。毎年2月に一週間ずつと走りっぱなしの週を設定します。徐々に距離を伸ばしていつて、最終日は大宰府まで走ります。往復38㎞。 それも全員で。脱落者は一人も出しません。出したらキャプテンのリーダーシップ能力の欠如。樂しかつたな~。
まつたく讀みたくない作家ですが、これは檢證のために賈つて讀まないと。村上春樹の新作。タイトル?覺へたくもない。
彼は、やはり國家は会社です。左翼です。
なんでこんな奴を支持する讀者がたくさんゐるんだらうか?意味不明。
今日は、陸軍記念日です。
明治三十三年三月一日~十日、我が帝國陸軍二十五万人が、ロシア軍三十一万人を奉天會戰ぶち破つて勝利した歴史的な日です。武器弾薬が尽きたため追撃が出来なかつたといふのが定説ですが、かういふ説もあります。
帝國海軍は早くから、食事にパンをとりいれてゐました。すると不思議なことに當時日本で流行ってゐた脚氣が激減するではありませんか。今ではわかつてゐることですが、米だけでは脚氣になりやすいのです。陸軍にそれを傳へても、ドイツ醫學を主流とする陸軍醫たちは、鼻で笑つてうけつけません。
結果として、陸軍では、脚氣の兵士がたくさんいて、奉天での追撃が出来なかつたといふ説です。ちなみに、當時の陸軍最高醫は、森鴎外です。
さあ、話はここからです。大東亞戰爭のときの東京大空襲は、三月十日です。アメリカ人とはいやらしいことをするものです。その後も我が國の記念日に将校を処刑したりしてゐます。
東京大空襲を考案したのはアメリカ軍のカーチス・ルメイといふ悪魔の軍人です。
ちなみに海軍記念日は、五月二十七日です。日本海海戰大勝利の日です。
今、我が國では、このやうな先人の偉業をまつたく無視してゐます。これでいいのでせうか?
教育勅語でもさうです。くだらない議論がまたまた國會で横行してゐます。稲田大臣の答弁に對してです。これに對して、和田政宗議員が、堂々と自分のブログで反論してゐます。この議員はすごい。私は、安倍首相でなければ自民党は應援しません。日本のこころを支援するでせ。
では、和田議員の毎日新聞をかんぷなきまでに叩きのめす見事なまでの論法をお楽しみください。
今は、二十四節氣 啓蟄です。七十二候(しちじゅうにこう)では、啓蟄 初候 蟄虫啓戸です。
「すごもりむしとをひらく」と讀みます。土中で冬眠をしていた虫たちが、暖かい春の日差しの下に出てき始める頃です。虫とはいひますが、冬眠から目覺め始めるすべての生き物のことを表してゐます。
私のキャプテン日誌です。Sはシングルス、Dはダブルスです。
秋の新人戦中部地区大會が近づいてゐます。當時の福岡縣は、北部・中部・南部にわけて縣大會の地区豫戰をしてゐました。北部は、ライバル 門司(もんじ)君率いる戸畑髙校、南部には、全國大會 10連覇の柳川商業(當時)、そして、中部には、我が福岡髙校です。
我が福岡髙校は、私の代になつてからは、中部地区で負けなしです。
「自慢させろ」といふのは、産經新聞の記事のタイトルです。私が言つてゐるわけではありません。
本当に自主性を重んじた髙校でした。生徒を完全に大人扱いです。よい教育です。
では、つづきです。
今、本の整理をしてゐますが、いざ、人にあげたり売却したりしやうとすると、たいへん。「ほかの人のところに行けつて云ふのね。私は捨てられるのね」「おいおい、何を考へてゐるんだ。せめてあと一囘は讀んでくれよ」・・・・・・。本たちが叫びます。う~、苦しい~。
昨日もさうでした。ある人に本を引き取ってもらおうとピックアップしていたら大騒ぎ。
ついに「女子学生の日記 生命ある日に 塩瀬信子 大和出版」と「ジャッカルの日 フレデリック・フォーサイス 角川文庫」を讀んでしまひました。何をやってんねん。
企業だけではなく、スポーツでも目的は欠かせない最重要項目です。軍事ではなおさらさうです。軍事では、「あの兵が言ふことを聞かなかつたから戰闘に負けた」といふ云ひ譯は通用しないのです。
なでしこジャパンが、ワールドカップで優勝した時のチーム目的は以下の通りです。
ワールドカップで自分たちのサッカーの価値を世界に示すことができたら、収入が増えて、もうアルバイトをしなくても、好きなサッカーに思う存分打ち込むことができる。
でした。
では、目的のあとは、目標です。目標とは、ただの数字であつてはいけません。ワクワクドキドキする目的、または、實現したらたまらなく感動する目的を手中に入れるにはどの程度高い目標を達成する必要があるかです。なでしこジャパンは、「最低でもベスト4」「できれば優勝」でした。
「かつて」の出光興産㈱の経営目的のつづきをみていきませう。あと數囘かかります。
森友學園の話しにしても豐洲の話しにしても、おそまつな議論が横行してゐます。政局のみ。くだらない。國有地祓ひ下げなど、朝日新聞や讀賣新聞が祓ひ下げを受けたとき、どんな低い金額で・・・・・・。まあ、いいや、私までのくだらなくなつてしまひます。
季節の素敵な言葉を紹介してゐます。「しゅういんしゅうだ」と讀みます。
昨日、今日と、落ち着いていろいろ作り物をしています。かういふ仕事の仕方が一番好きです。読書と一緒で、よほど神經を使う仕事ではない限り、複数の仕事と手紙や読書やブログなどを同時に進行させているときが調子の良いときです。さうやつて、氣持ちが髙まつたら、一氣に集中業務へと進めます。
このリズムなんだよな~。「あれをどうしやうか」とか考えて、何も進めないときが一番だめです。
さあ、このブログを書いたらまた一仕事。
さて、今日はS つまり部員の日誌です。 藤(とう)君です。
ツバメ返しといふのは、新しく入つた寺田譲君です。なんか、最初の時に、應援團の眞似をして、「ツバメ返し~」とやつたから、このあだ名になりました。マネジャーの生田さん、関さんも登場します。
昭和五十一年十月三日です。
三島由紀夫の文學的遺書である「小説とは何か」を讀みながら、正しい日本語を學習してゐます。みなさん、本當に、昨日紹介した福田恒存先生の「私の國語教室」はぜひお讀みください。日本語に對しての、目が開きます。
では、つづきです。
我が母校、福岡県立福岡髙校學校の記事が産經ニュースの弐月参日から、何囘か出ました(九州版)。紹介します。今日は、弐月参日版です。
寫眞は私が勝手に貼り付けました。
人が來たので、扇を交換して別れた光源氏と女性でした。
「すてきな人だつたなあ」
弘徽殿(こきでん)で會つたのですから、右大臣家の娘です。しかも若い。五番目か六番目。
みなさん、覺へてゐますか? 光源氏の正妻 葵の上は、左大臣の娘です。左大臣と右大臣は政敵です。
そして、弘徽殿の女御(こきでんのにょうご)は、光源氏を憎んでゐます。
このブログでも繰り返し書いてゐますが、けふは、五節句の一つ上巳の節句です。
一月七日:人日(じんじつ)の節句 七草粥を食べますね。
三月三日:上巳(じょうし)の節句 3月の最初の「巳の日」という意味です。「禊ぎをして穢れを祓ひ、軆代りの人形に汚れをうつして河川・海などへ流す」風習などがあり、江戸時代以降「雛祭り」として庶民の間に定着しました。別名「桃の節句」は有名ですね。
五月五日:端午の節句 5月最初の「午の日」という意味です。古くは「藥草摘みの日」であり藥草としての菖蒲(しょうぶ)が「尚武」の音に通じるとして、男子の立軆出世を願ふ行事へ轉化していきました。
七月七日:七夕(しちせき)の節句 別命 笹の節句です。
九月九日:重陽(ちょうよう)の節句 「九」という数字は、易によれば「陽數の極」にあたり、これが重なる(非常にめでたい)という意味です。支那の風習(この日に菊の花を飾り、邪氣を祓つて長寿を禱るといふもの)が元になつていて、宮中では重要な節句として位置付けられてゐます。別名「菊の節句」です。
三島由紀夫の文學的遺言である「小説とは何か」を讀みながら正しい日本語を學習してゐます。偉そうに言つてゐますが、まだ、本當の日本語を書くときには迷いがあります。長谷川三千子先生や小川榮太郎氏のやうに、すらすら書けたら気持ちよいだらうなあ。 つづきです。
普段の私の使い方を修正しなければならない箇所は太字にしてゐます。
Cなので、私のキャプテン日誌です。
部員の日誌は、練習後書いてゐますが、私のは練習豫定を書いてゐます。そして、練習終了後に、豫定になかつたことや感想やメモ書きをしてゐます。
本當にインターハイに行きたかつた。豫算もほとんどもらえず、コートも1面しかなく、テニスウェアは先輩からのお下がり。インターハイ出場が決まつたとき、OBの方々がアディダスのテニスウエアを賈つてうださいました。涙が出るほどうれしかつた。結婚するまで使つてゐました(嫁さんが汚いからと捨ててしまつた:涙)。部長も監督もコーチもいません(あっ、部長はいたわ。来なかつたけど)。
昭和五十一年です。
秋の新人戰が近いので、團體戰 シングルの 私と中垣はストロークに多く入つてゐます。素敵な女性先輩 永田さんがこの日も来てゐます(全日本ランカー 関東學生女子チャンピオン)。きれいな人だったなあ。
二月二十九日から 七十二候 雨水 末候 草木萌動です。「そうもくめばえいずる」と讀みます。足もとや庭木の先にほんのりと薄緑に色づく芽が見られる頃。やわらかい春の日差しの中、草木が芽吹き、新しい命が生まれます。
長い長い、そして、寒い寒い冬の間に、つないだ命のエネルギーを溜め込んだことが、陽に轉じてきます。
人も同じですね。
会社には、目標や計画よりも上位に「経営目的」が必要です。それぞれの職場にも個人の仕事にも。
目的を設定しないで目標は手段ばかりが先行する上司は嘆きます。「あいつらは俺の言うことを聞かない」。仕事は無味乾燥なものになり、部下からは不平不満が出てきます。
目的は、ワクワクドキドキするものや、感動するものでなければなりません。
会社だけではありません。軍事では、この目的がきちんと設定されてゐないと、兵は死んでしまいます。
「かつて」の出光興産㈱の経営目的をご紹介しましょう。出光興産㈱第二の定款といはれるものです。
古今東西最高の経営者 故出光佐三店主が、昭和十七年(1942年)七月に、社員を南方に派遣するときの「南方進出壮行の辞」です。
長いので、數囘にわけます。