日本語の學習(皇紀弐千六百七十七年三月二日 五)

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 三島由紀夫の文學的遺言である「小説とは何か」を讀みながら正しい日本語を學習してゐます。偉そうに言つてゐますが、まだ、本當の日本語を書くときには迷いがあります。長谷川三千子先生や小川榮太郎氏のやうに、すらすら書けたら気持ちよいだらうなあ。 つづきです。

 普段の私の使い方を修正しなければならない箇所は太字にしてゐます。
 一冊五百圓ぐらの金を拂つたために、こんな目に會はされてよいものだらうか。かくて、これば、「あなたのおかげで私の人生をめちやくちやにされた、一體どうしてくれる」といふ意味の文面の未知の讀者から小説家へ送られる手紙の原因をなすのである。
 問題を整理しよう。

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このページは、宝徳 健が2017年3月 2日 15:19に書いたブログ記事です。

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