五節句(皇紀弐千六百七十七年三月三日)

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 このブログでも繰り返し書いてゐますが、けふは、五節句の一つ上巳の節句です。

一月七日:人日(じんじつ)の節句 七草粥を食べますね。

三月三日:上巳(じょうし)の節句 3月の最初の「巳の日」という意味です。「禊ぎをして穢れを祓ひ、軆代りの人形に汚れをうつして河川・海などへ流す」風習などがあり、江戸時代以降「雛祭り」として庶民の間に定着しました。別名「桃の節句」は有名ですね。

五月五日:端午の節句 5月最初の「午の日」という意味です。古くは「藥草摘みの日」であり藥草としての菖蒲(しょうぶ)が「尚武」の音に通じるとして、男子の立軆出世を願ふ行事へ轉化していきました。

七月七日:七夕(しちせき)の節句 別命 笹の節句です。

九月九日:重陽(ちょうよう)の節句 「九」という数字は、易によれば「陽數の極」にあたり、これが重なる(非常にめでたい)という意味です。支那の風習(この日に菊の花を飾り、邪氣を祓つて長寿を禱るといふもの)が元になつていて、宮中では重要な節句として位置付けられてゐます。別名「菊の節句」です。
 支那には、この日、水邊で軆體体を清め、宴會を催し、災厄を祓うという風習がありました。かうした支那の節句の行事と、日本に古代から傳はる禊祓(みそぎはらひ)の思想や、「人形(ひとがた)」を流す風習とが混じり合い、日本ならではの上巳の節句となりました。上巳はじょうみとも読まれ、本来は三月の最初の巳(み)の日という意味でしたが、かなり古い時代から3月3日に行われるようになりました。

 日本では上巳の節句に、人の形を草木や紙でこしらえ、それで軆體体をなでて自分の厄を移し、水に流して祓ひとしました。この時のなでものを「人形(ひとがた)」と呼びます。この「ひとがた」が、後世のひな人形の始まりではないかと考えられています。

 平安時代、紙などで作つた幼女の遊び相手の小さな人形は「ひいな」と呼ばれました。この「ひいな」と、上巳の節句に用いられた「ひとがた」とが、長い年月の間に融け合つて、ひな人形が生れ、やがて家の中に飾り祀るようになりました。特に、江戸時代以降は、ひな人形・雛道具ともに豪華になり、雛飾りは女の子のあこがれの縮図となり、それを飾る上巳の節句は、華やかな「ひな祭り」へと發達しました。地方によつては、雛を川へ海へ流す「流し雛」の風習も残っています。

 子供のころ、姉が「男の子の端午の節句は祝日なのに、女の子の桃の節句は祝日ではない。不公平だ」とよく怒つてゐました((笑)。では、ひな祭りを楽しみませう。

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このページは、宝徳 健が2017年3月 3日 06:04に書いたブログ記事です。

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