守株待兎 續(皇紀弐千六百七十七年三月十二日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 昨日に續き「守株待兎(しゅしゅたいと)」です。

 かつてロサンジェルスで警官が黒人を毆打したのに無罪になったことで黒人が暴動を起こすといふ事件がありました。父ブッシュか子ブッシュが大統領の時です。あれは、黒人が悪さをして、それを咎めやうとした警官に黒人が襲い掛かったので、しかたなく毆打しのが眞相です。メディアはそんなことは何も云ひません。PC(ポリティカル・コレクトネス:政治的妥當性)です。人種差別はいけないといふ。

 時のブッシュ大統領は、司法に介入して、この警官たちを有罪にしてしまひました。かういふのを人治國家と云ひます。アメリカは法治國家ではないことがわかりました。でも、これもメディアは云ひませんでした。メディアは一度流れがつくられてしまふともうそれを正しい方向へ覆す力はありません。氣づいてゐても。

 法治國家とは、どんなに地位の髙い人でも、國民の代表が決めた法律には従はなくてはならないといふものです。

 でも、そんな我が國や歐米の言葉の常識、つまり、法治國家と人治國家の定義と全く違つた考へ方をする國があります。
 
 支那

です。
 昨日は、「守株待兎」を日本人は、怠けずに働かうね、といふ美談にした話をしました。

 これは韓非子といふ支那 春秋戰國時代の法家の話ですとふことも紹介しました。

 韓非子はこの話の後に
「今、先王(せんのう)の政(まつりごと)を以て、當世の民を治めんと欲するは、皆、株(くひぜ)を守るの類(たぐい)なり」 と續けます。

 先王とは、周の文王です。孔子がとても尊敬した過去の偉大なる王です。文王を知らないと支那の古典は意味が分からなくなるほどの人物です。

 韓非子は孔子をとことんたたきます。「そんな古い慣習なんて守っていたらじり貧になるのがおちだ」といふ意味です。

 韓非子が重んじたのは法です。政治の要諦は法であることを説き法治主義を主張しました。これを取り入れ支那を統一したのが秦の始皇帝です。

 でも、統一後、韓非子は始皇帝に殺されてしまひます。これを「狡兎死して走狗煮らるる(こうとししてそうくにられる)」と云ひます。

 始皇帝の後の世、漢が支那を統一したときに、最も功績があつた大元帥韓信を、高祖 劉邦が恐れて殺してしまひました。その時の韓信の言葉です。「兎を獲つた犬は、もう必要ないから殺す」といふ意味です。

 支那はこればかり。毛沢東も林彪を殺しました。今のシューキンペイなど同じことをやつてゐます。

 話を戻します。韓非子の法治主義、つまり、支那の法治主義においては、法は權力者の命令のことです。つまり、權力者が決めた命令には従はなくてはならないのが支那の法治主義なのです。人治主義の極みですね。

 韓非子の結論。「人間には因縁をつけて皆殺しにしなければならない」です。

 きちんと知つて、支那と対峙しませう(付き合ふ必要はないぐらいです)。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6733

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2017年3月12日 04:22に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「日本語の學習(皇紀弐千六百七十七年三月十一日 四)」です。

次のブログ記事は「源氏物語51(皇紀弐千六百七十七年三月十二日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。