經營をしてゐるとどうしたも、各部署は、各部署の都合で動こうとします。部分最適です。結果、會社全体の動き(全体最適)との整合性が取れなくなり、全社規模でみると合成の誤謬が生じます。
でも、もし、24万人と云ふ我が國最大の組織である自衞隊でそんな部分最適が發生してしまつたら、とんでもないことになります。
大東亞戰爭がさうでした。特に海軍。
あの戰爭が我が國の侵略戦争だと言つてゐる人は、相當なノータリンか支那のスパイです。
でもあれだけの、世界最強の帝国陸海軍を有しながらあの戰爭に負けたのは政治家と軍部指導者の愚かさです。特に山本五十六。
陸軍と海軍の部分最適が國家の全体最適とマッチしてゐませんでした。
その反省に鑑み、自衞隊には統合幕僚監部(統幕)が出來ました。陸士、海兵と別れてゐた士官學校も防衛大學校に統一されました。
その中でも、やはり各自衞隊にはカラーがあります。各自衞隊の全体最適(目的)です。
今囘は、小山君です。英語の小山先生の息子さんです。 進研模試を真剣もしとなぞつてゐます。みんな頭がいいですね。
練習は本當にしんどかつた。でも、今囘、小山君だ書いてくれてゐるように、部の旅行やクリスマス會などもやりました。
私にも朝鮮人(決して差別用語ではない)の友人がゐます。自國について、かなり過激なことを云ひます。「おいおい、大丈夫か、そんなことを言って」。「宝徳、これが眞實なんだ。ただ、自國では云へないんだ」と云ひます。
朝鮮人は、朝鮮の正しい歴史を知る必要があります。そして、朝鮮が一番幸福だつたのが、日本統治の時代であることも。それを知つてゐる朝鮮人が私たちの想像以上に多く、でも、それを云ふと抹殺されることも。まあ、私たち日本人も、自分の歴史を學習しないと云ふ悲しい世界もありますが。昭和の日なんて言つてゐるんですものね。新嘗祭を勤労感謝の日などと言つてゐるんですものね。三大神勅もしらいんですものね。
さて、親父と姜豪さんの話の續きです。この時代の男たちは、なんでこんなに格好いいのか。くやしい!!! 本当の男に、本当の日本人になりたい!
昭和節です。昭和の日ではありません。「すめらみことお誕生日おめでとうございます」ではありません。そんなことは、昭和天皇も望んでいらっしゃいません。「すめらぎいやさか(天壌無窮)」を祝ふ、節目として、ご自分がいらっしゃったといふことを望まれてゐます。
ここがわからないと日本人ではない!!!
さて、今囘も小田君です。私は、一學年下の人間は、全員顔を思い出せます。この日誌を書いてゐると、思ひでもどんどん出てきます。それがうれしくてなりません。
今日は和歌はなし。參考にしてゐる本が・・・あれっ? あれって? これもなかなか手に入らない和歌の本です。毎日十冊以上本を持ち歩いてゐるから、本が怒ったかな?
三島由紀夫の分學的遺書である「小説とは何か」で正しい日本語を學習してゐます。
ちなみに、先日、「すめらぎ」と「すめらみこと」の違ひを書きました。今上天皇陛下が「すめらみこと」です。では、三種の神器は? 「すめらぎ」です。三島は、今上天皇陛下と三種の神器の両方に危機がおとづれたとき、日本人としてどちらを護らなければならないかといふ問ひに、きつぱりと「三種の神器」といつてゐます。
それが、「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」の天壌無窮であり、「すめらぎ」なのです。決して、天皇のために死ねなどといふことを言つてゐません。そんなことを言つてゐたら、何千年も歴史が連續するはずがありません。
今年の七月一日で九十歳になる父は、いまだに、小學校とか軍隊時代の同窓會をやっています。來る同窓生もよく生き残つてゐるものです(失礼:笑)。
日韓合同同窓會の話です。
おやおや、小田君が2日連續書いてゐます。
トレーニング名が具體的に出てゐますね。
ジャンプは數種類。ジャックナイフは、ジャンプしてつま先を両手指先でさわるやり方。ジャンプして両膝を抱え込むのもありました。肩車は、人を肩車して、屈伸運動をします。ぶらさがりは、人が自分の首に腕を囘し、足は、胴に。その姿勢で、上半身を何度も上下します。おんぶは、人をおんぶして運動場を2~3週します。馬跳びは、順番に飛んでいつて、運動場を2~3週。
ただ走ってはつまらないので、走っている途中にいろいろなことをやります。ダッシュ!と叫んで一番後ろの人間が先頭の人間の前まで全速力で走るのがインターバル。全員で右と左の横跳びがサイドステップ、うしろむきにも走りました。
腕立てや腹筋はワンサイクル100囘です。
こういうのを3サイクルやるのですから、當時の私たちの運動能力と體力にはすさまじいものがありました。
縣大會がをはりました。我が福髙は、決勝戰で柳川商業に1:2で負けて準優勝でした。それでも、あの全國10連覇の柳川のダブルスペアを、埜田・山口組が破ったのです。
この準優勝で九州大會と、第一回西日本選抜(現 全国選抜)への出場を決めました。
ずっと、ずっと探していた本が手に入りました!!!!!
いつも氣前よく本を下さるSWさんもこの貴重な本だけは手に入らないので・・・(笑)。
あ~、うれしい。エクスタシーなんてもんではありまん!!!
手に入ったら寫眞を掲載しますね。
父は、朝鮮時代の友達とかなり行き来をしてゐました。あるとき、朝鮮の友人が日本で手術をした知己もかなり面倒をみてゐました。私も、たくさん献血をしてゐたので(日本赤十字特別社員)、献血手帳を渡しました。
激動の時代を生き抜いた人たち。日本がどうのとか關係ありません。
今囘は、小田君です。
みんな勉強との両立に苦勞してゐますね(笑)。
船津とは、船津先生です。1年6組の担當だつたのせう。
今日は、ブログを書かないつもりで昨日たくさん書いたのですが、ひとつだけ。
新聞にもネットニュースにも、「名誉挽回」といふ言葉が躍つてゐま。おいおい、大丈夫かい。
名譽は囘復するものではなかったか。汚名返上、せいぜい汚名挽回では。私が間違つてゐるのかなあ・・・。誰か教えてください。
あのなんとかといふ大臣・・・。感覺が麻痺してゐるのでせうね。おそらく自分では間違つたと思つてゐない。彼、東大卒です。知識(は否定しませんが)だけの學習をしたらかうなるといふ敗戰後の不埒な教育の産物そのものです。
だいたい、この大臣のひとつ前の失態なんか、左翼記者にうまく乘せられただけです。
今年のブログ目標は、年730通です。つまり、一日2通。
ところが 1月52通/62通 2月21通/56通 3月41通/62通 で合計 114通/180通 ▲66通。つまり、1日2通として33日分遅れてゐます。 4月も25日で今のところ39通/50通です。絶對に、GWで追いつきます。
本は今のところ65冊だから200冊/年ペースです。手紙が全然ダメ。とにかくなんもかんもGWで取り返すけん。
さて、今年九十歳になる父が、何かを私たちに遺そうと、手紙を送つてきます。寂しいのでせうね。今日も、「今日はおじいちゃんの誕生日ですね」とメールをしたら、「この思いをどこに向けたらいいのか」といふ返事が返つてきました。十九歳で父を失い、一家の面倒を敗戰の荒廃のなかでみなければならなかつたのはどんなに大變かだったか、私たちにはうかがひ知ることができません。戰爭はしてはいけないのではない。負けてはいけないのです。よく「戰爭の記憶を忘れるな」と云ひますが、違ひます「敗戰の記憶です」。 あの戰爭が我が國の侵略戰爭ではないことなど火を観るより明らかですが、指導者が惡るかった。特に、山本五十六と近衛文麿です。この二人が我が國をつぶしたと言っても過言ではありません。なのに、山本五十六など、なぜ、あれだけ持ち上げられるのか。
さあ、髙めて繋ぐのが私たちの使命です。父が「遺そう」としてゐることは私と息子が引き繼ぎます。
今日から日韓合同同窓会です。
岡村君が書いてゐます。縣大會が近づいてゐますね。私たちの第一目標は(絶對の目標)は、インターハイ出場です。 第二目標が、打倒柳川商業でした。當時 柳川商業は、全國大會で10連覇してゐました。
目標は、二段階もしくは三段階で決めることが大切です(企業においても)。その前に目的がなければ目標は全く生きてきません。まあ、これはまた後日。
1:2マッチをやつてゐますね。一人対二人。シングルスで角度への對應力を向上させることが目的です。でも、テニスって、シングルスコートでやるに限って云へば、一人の方が強いのです(笑)。やりやすいから。ダブルスコートでやつたら、それは、確實に二人が勝ちます。
明朝はブログが書けないと思ふので。
最近の私の和歌
しらすといふ 國體築きし 皇(すめらぎ)が 坐(ましま)す國に 櫻花咲く
梅に桃 櫻に藤と つなぎしに 忘れたならじは 木蓮の花
こんにちは ことばがおはらぬ そのうちに 抱っこをせがむ 幼き笑顔
田植ゑ待つ はられた水に 陽が映える 斎庭の稻穂 とはにかがやく
嶺南の 山も雪解け 緑映え すべてが芽吹く 春のおとづれ
水はられ 田植ゑ待つ多の すがすがしさ 天壌無窮の しはわせかみしめ
櫻残る 山の緑に 映えながら はられた田水に 姿を映す
薄紅と 黄色緑の 合唱に 我も我もと 八重の共演
へたくそだなあ。 でも、和歌は毎日一首以上は詠めてゐます。問題は、讀書とブログと手紙です。
さて、大化の改新と云ふ一大政治事件において、我が國のリーダーたちはどのやうな難局を乘り切ったのでせうか。
今日から七十二候 穀雨 次候 「霜止出苗」です。「しもやみてなえいづる」と讀みます。
暖かくなり、霜も降らなくなり、苗がすくすくと育つ頃です。田植ゑの準備が始まり、活氣にあふれてゐる農家の様子が連想できる言葉です。
天照大御神が、孫の 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が降臨するときに三つの云ひつけをしました。これが、敗戰前は、小學生でも知つてゐた、三大神勅です。
息子の情報によると、習近平と金正恩は、仲が惡いのですが、金正恩は、江沢民とつながつてゐるさうです。 習近平が軍閥をかたっぱしから統合していったとき、7つある軍閥でたつたひとつ、満洲閥の 江沢民だけはつぶせませんでした。
なので、江沢民が生きてゐるあいだは、金正恩は大丈夫です。逆に云ふと江沢民が死んだときに情勢は一氣に變はります。
さて、葵の上に子供(光源氏の子)が生まれました。生霊になつて葵の上に憑りついた 六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)は不快なままです。
今日は、真城君です。 OBで九大醫學部の山口先輩が指導に來てくださいました。
テニス部にも山口君がいます。真城君はそれを「復興」と書いてゐます。
お氣づきと思ひますが、みんなかしこいでしょ? 今、讀み返しても樂しくてしかたがありません。
なんかなしとは博多辨で「なんとなく」です。
まあ、話はぐちゃぐちゃです。葵の上に憑りついてゐたのは、なんと六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)だつたのです。
さて、そんなことはありあしたが、葵の上(光源氏の正妻)は、無事に出産しました。贈り物が次々持ち込まれ、三夜、五夜、七夜、九夜の祝宴もにぎにぎしく催されます。
六条御息所は自分が生霊となつて葵の上に憑りついたことには氣づいてゐません。でも、魂が抜けてさまよつてゐるやうな感覺はあり惱んでゐました。
出産のニュースを聞いて、「あらっ、命も危ないといふ話ぢやなかつたの」とうらめしい。
氣がつくと衣裳には祈祷に用ひる香のにほひが滲みこみ、髪を洗つてもとれません。
「ああ、やはり、生霊になつて葵の上の枕邊に行つたんだわ」 自分が厭わしくなります。こんなことが世間に知られたら大變なことになります。獨リ心の中に隱してゐるとますます氣が變になりさうです。
さて、光源氏はどうでるか。
我が國近現代史において、明治天皇が最高のリーダーであることは異論の餘地がありません。あの激動の時代、我が國存亡の危機を、シラスといふ我が國の國體を貫き通しながら、乘り切られました。
あっ、そうだ。私たちが學校で、習つた、嘘をひとつ。
「君臨すれども統治せず」ではなく「統治すれども支配せず」です。これの意味がわかつたら、我が國の國體のことが理解できるやうになります。追々、説明しますね。
それと、もうひとつの嘘。政教分離といはれますが、これは、歐州のことばで我が國は關係ありません。 カトリック・教會主義があまりにもひどかつたので、カトリック教會主義から政治を奪はう(かつては、國は教會の下にあつた)としました。それには一度絶對主義を経る必要がありました。
激しい戰ひの末、政治は教會から離れました。「政治」と「教會」を分離することが、政教分離です。
靖國参拝がどうのこうのと言ってゐる發言のおかしさがわかりますね。
あ~ん、明治天皇の御製(天皇の和歌)を書こうと思つたのに前置きが長くなつた~。
今の政治家は和歌が詠めません。そんなもの必要ないと仰るでせうが、明治天皇は生涯で10万首以上の和歌を詠まれました。それがいかに大切か。
そして、我が國が過去、どのように和歌とともに国造りをしてきたかをシリーズで解説しませう。
まずは大化の改新。
祖父の話が始まります。父はシベリア抑留で帰つてきませんでしたので、私たち姉弟妹は、逢つたことがありません。部屋に寫眞だけ飾つてありました。にらみつけられてゐるやうでとても怖かつたことを覺へてゐます。四十代半ばに見えた祖父の寫眞ですが、なんと三十歳の時のものなのですね。
昔の男は、成熟していたのでせう。私たちはガキです。あ~あ、世の中が退化してゐます。
なんであんなに純粋になれたのだらう? 取り戻したいなあ。
今囘は、浅川くんが書いてくれてゐます。「飼鳥(かいちょう)ロプロス委員長」といふペンネームで。彼の記事は、かなり事前解説が必要ですね(笑)。
ロプロスとは、我がテニス部で飼つてゐた、確か十姉妹です。
森くんは、みんなから「馬」と呼ばれてゐましたので、森とびとは馬とびです。馬とびで、東公園の大回り(そとを周る)を2周もしてゐますね(笑)。ガキデカとは當時はやつた漫画のタイトルで主人公が「こまわり」でした。
郷原さんは、私たちの一つ下、彼らと同期の女性マネジャーです。彼女は、私の同期と付き合つてゐたので、野又君がふられたことになつてゐます。郷原さんはお姉さんが、私たちの同期生です。
世話係とは、福岡髙校では、学級委員のことです。
浅川君は、カーレースが好きでした。時々、日誌にスーパーカーなんかの繪を描いてゐました。
昭和五十一年です。
光源氏の正妻 葵の上に憑りついてゐる、もののけの正體探しが始まります。
六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)も胸騒ぎを覺へます。ますます氣が滅入つてしまひます。
光源氏が訪ねてきますが、そう簡單に氣はおさまりません。
「つらい、にくい、苦しい、でも好き」
なんせ、光源氏には子供が生まれるのです。もう訪ねてこないかもしれません。
昨日まで、鴻雁北(こうがんかへる)でしたね。
今日から、七十二候 清明 末候 虹始見です。「にじはじめてあらはる」と讀みます。
春が深くなるにつれ、空気が潤ってくるので、この時期からきれいな虹を見ることができます。虹が虫偏なのは、空にかかる虹を大きな蛇と見たてたためとされています。
父に子供のころの振り返りの續きです。今日、出てくる中學校とは、𦾔(旧)制中學です。
このころ、𦾔生中學に行く生徒は、全体の3割もいなかつたさうです。
父は頭がいいといふか、努力家です。一度決めたらやり抜くすごさがあります。今も(九十歳)、英單語を一日十個暗記してゐるさうです。入院をしたら、「退院をしたらすぐに歩く」と寢ていても、腿上げを100囘ぐらいしてゐます。
旅順工科大學に行きたかつたと聞いてゐます。戰爭でその夢も遂げられませんでしたが(志願兵)。
今囘は私の次のキャプテン 森君です。
この日は、軟式野球をやつてゐます。
テニス以外の競技は、ずいぶんやりました。この時は、部内でやつてゐますが、他の部ともやりました。異種競技戰です。例へば、野球部とバスケットをやる、ラグビー部と野球をやるなどなど。この異種競技戰で、我がテニス部は一度も負けたことがありません。
他の競技をやる目的は、二つあります。
一つは、バランスの良い軆體を創ること。一つの競技だけをやつてゐると、どうしても軆體の筋肉が偏りバランスが惡くなります。
もう一つは闘爭心を磨くことです。ネットを挟んで相手と對峙するテニスは相手を叩きのめすといふ闘争心にかけがちになります。ラグビーやバスケットはその點を磨くのにうつてつけです。
小池といふどこかの都知事の支持率が、70%を超えてゐるさうです。東京都民とは一體、どんな人たちなのでせう??? 美濃部都知事の時もさう思ひました。 都民は、しばしば選擧で誤り、東京都をめちゃくちゃにします。
最初から、小池さんに政策などありません。政局ばかり作つてゐます。豐洲問題は、都議選まで引つ張らないと、政策のない小池さんは負けてしまひます。何が何でも都議選まで引つ張りたい。だいたい、こんなこと問題にも何にもならないことです。
長島なんとか、といふ、民進党の議員が離党とか除名とかで民進党を離れるさうです。
父は、勉強は常に一番だつたさうですが、軆體が弱かつたと聞いてゐます。
今では信じられません。
父の兄弟は、姉、父、弟3人です。 一番下の弟とは約20歳歳が離れてゐます。姉とこの弟以外は亡くなつてゐます。父がけんかで負けたら仕返しに行つてゐた弟も。弱かつた父が長生きしさうです。
父は、長男です。昔の長男は、今とは考へられないぐらい「家」の概念が求められました。他の兄弟とは區別されて育てられます。あるとき、父は祖父と旅行に行つたさうです。電車に乘りました。
祖父は一等車で、父は普通車です。これが教育です。
我先にと電車の席を親が子にとらせに行つたり、子から先に座らせる、今のひどい教育はなんとかならないだらうか。
さて、昨日の續きです。
今日は、新聞休刊日。いつもあれだけ新聞のことをぼろくそ言つていながら、新聞がない朝は寂しくてたまりません。誤解しないでくださいね。新聞の社會的使命を認めてゐるからこそ、それを果たしてくれと叫んでいます。
私たちが若いころ、新聞は、「北朝鮮は地上の樂園」と云ひ、それに逆らふことは許されませんでした。まあ、朝日新聞がリードしてゐますが。そして、歸國運動をどんどん推し進めました。難民である朝鮮人を送り返したことが唯一のこれまでの朝日新聞の功績か。
そんな中「誰も書かなかつた北朝鮮」といふ本が出ました。讀んだら身震いします。人間をこんな家畜のやうに扱ふ國があるのかと。
今、檢索したらまだ中古で賣つてゐますね。アマゾンで1円。もう一度讀みたいのでアマゾンポイントで賈ひました。
朝の仕事はいいですね。朝のおつとめをし、仕事をしながら合間にブログを書く。とてもリズムができます。久しぶりのシリーズです。これは皆様は讀んでいただかなくても結構です。私の修行の一つです。立派な日本人になるための。
三島由紀夫の文學的遺産である「小説とは何か」で日本語の學習をしてゐます。
三島由紀夫と谷崎潤一郎の小説を讀んでゐると、最初、徹底的に讀者を挑發してきます。「ほ~ら、この先も讀み進むかい?それともやめるかい?」と。そして、讀み進めると、イメージが鮮明になります。最初のころはあんなにわからなかったことが。「そうか」と。にくらしいですね。
葵の上と六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の確執からでしたね。
六畳御息所は、十分幸せになつてよい女性です。なのに東宮(皇太子)である夫には早世され、光源氏は浮氣者、葵の上にはあなどられました。もともとプライドは髙く、一途な性格で、傷つきやすいタイプです。さらに高貴。私たち下々の者にはこの苦しみはわかりません。
さて、葵の上の妊娠の経過がよくありません。
前囘、たくさんの部員が、勉強と部活の両立に惱み辞めていつたと申し上げました。でも、出戻りの部員も多かつたのです。
私の次のキャプテンM君もさうです。彼は結果的に京都大学に進學するほど成績がよかつたのです。一度退部した彼です。ある日、私が、部室に獨人でゐました。すると彼がやつてきました。「キャプテン」「おう、久しぶりやね。どげんしたんね」「もう一度、入部したいのですが」。目には涙があふれてゐます。「(戻つてきてくれるのか)」私の目にも涙がたまりました。「早よ、着替えやい。もうすぐ練習ばはじまるけん」。
決して、厳しいだけではなく、みんなつながつてゐたのです。
今日は、安河内B君。どつちがAかBか忘れました(笑)。ごめん。昭和五十一年です。
縣大會 團體戰に向けた強化練習をやつてゐます。埜田・山口組といふのは團體戰のダブルスペアです。 團體戰は、シングルス×2、ダブルス×1の3試合で行われ2試合制した方が勝ちです。シングルスは、私と中垣君です。
父は、私たち姉・弟・妹にとつて、ものすごく怖い存在で、「好きか」と聞かれたら「う~ん」といふ感じでした(笑)
でも、尊敬してゐました。母の子供たちに對する教育ももちろんあります。「お父さん」に對して、失礼なことを言つたりしたりしたら、ものすごく怒られました。
それだけではないですね。何か、尊厳に満ちたあの存在。「好きではないのに尊敬している」。今の親や上司に欠けてゐることだと思ひます。これがキャプテンシーなのでせうね。
母の葬式の時、父は云ひました。「秋武(母の實家)の父と母には、實の子供のやうに大切にしてもらひました。それなのに、今囘は、汎子(母)にとんでもないことをしでかしてしまひました。みなさん、申し譯ございません」と。姉は「あの言葉を聞いて、すべてが許せた」と。
私が硬式テニスでインターハイに出場したとき、親友のSZ君が、試合の様子を寫眞におさめてくれました。その寫眞を當時、單軆赴任中だつた、父に、母が送りました。
後から知つたことですが、その寫眞を臺紙に貼り、社内で部下の人たちに、「俺の息子だ」と自慢してゐたさうです。決して、當時者である私たちには見せない愛情。今の、私たちには出来ないことですね。
私には、たつた一言の手紙が母を通して届きました。「キャプテン寳德、よくやつた」と。この時のうれしさはいまだに忘れません。
前囘の手紙では、父はさらつと書いてゐました。息子である私の目から見ても「大した男」である父は、退職後北九州の小さな鐵工所に轉職しました。つらくてつらくてたまらなかつたさうです(仕事のレベル・人間關係など)。母に「一家心中してくれ」と云ひたくなつたさうです。
菱光産業に転職して初めての營業職についたとき、どうしてよいかわからない父は、道路の側道に一日中立ち、前を走る營業車に書かれてゐる社名と電話番號をかたつぱしからメモしてアポを取り、營業に赴いたさうです。
私たちと昭和一桁とは、レベルが違ひます。私たちはすぐに愚痴を云ふ。自分で手にしてゐるのに、「與へられた」と勘違ひしてゐる環境に、すぐに不平不満を云ひます。
さて、父が、自分の幼少時代を書き送つてきました。
Cは當面書かないと申し上げました。面白い内容ではないので、みなさんは讀んでいただかなくても結構です。私が、キャプテンシーを見直すために書いてゐます。
私は中學浪人です。つまり、髙校に入るときに一年遅れてゐます。當時、髙校生で、それを友に告げる勇氣は私にはありませんでした。同級生のみんなごめんね(笑)。
私が58年の人生の中で、必死に生きた時、が何囘かそして數年あります。その最初が、中學浪人から髙校三年間の合計四年間です。
中學浪人は確かにつらいことでした。同級生が髙校の校章をつけて學校に通ふ同じ交通機関に、襟になにもついてゐない、学生服をつけて乗り込みます。
私は、中學三年生の時、十分志望校に通る學力があつたと思つてゐます。自分の素行の責任ですが内申書が惡すぎたのですね。福髙に合格して初めての先生と親との三者面談で、先生が「成績も惡くないし、態度もよいのに、なぜ、こんなに内申書が惡いのですか?」と聞かれました。中學時代、なんども、學校に呼び出されていた母は、答へに窮していました(笑)。
それでも、受驗勉強をしてゐるとき「俺は、このまま髙校に行つていいのか? やるべき勉強をこんなにやり残したままで髙校に行ってもいいのか?」と強く思ひました。こんなことを言っては父と母に怒られますが、落ちた時、ホッとしました。そして「こうなったら、次の受験までに中學校の問題で解けない問題がないようになってやる」と決意しました。父が慮って、ある髙校の二次募集の話をもってきました。「お父さん、すみません。やり残したことがあります。一年勉強させてください」「わかった」でした。
その父は、落ちた時、烈火のごとく怒りました。「社會はなあ、結果がすべてなんだ!人は結果でしか人をみない!」と。
そして、髙校に入りました。父と母に言ひました。「僕は、硬式テニスでインターハイに行くんだ(行きたいとは云ひませんでした)。だから、ある程度勉強を犠牲にさせてくれ」。父と母は黙つたままでうなづきました。
浪人から髙校の4年間。自分の人生の礎を築きました。
さあ、運動場を50周走ったときのキャプテン日誌です。部員全員に(もちろんわたしも)50周も運動場を走らせておいて、「まだ、なまぬるい!!」と云へる力が當時の私にはあつたのですね。
今日は、安河内君。どつちだ? A?B? まあいいや。 私は、この日誌を今囘、公開するにあたり、「何か、これを書かなくては」といふ氣持ちになつてゐました。必死になつてゐた昔の生き方を取り戻すため? 確かにそれもあります。でも、「なんで、俺はこれを書いてゐるんだ」と明確な答へを見つけきらずにゐました。昨日、はつきりわかりました。 キャプテンシーなのですね。
このブログもなんやかんやいいながら毎日書けない言ひ譯をしてゐました。ブログに對する情熱も薄れてゐました。
人間は、自分の為だけには生きることができないんですね。自分の為だけだしたらいい加減に生きても許されます。でも、他者へ力を發揮していくモチベーションのためにはさぼるわけにはいきません。何を發揮していくか。キャプテンシー・・・・・・。
「何を言つてゐるんだ、お前」とお考えでせう(笑)。
さて、日誌に戻ります。我が福岡縣立福岡髙等學校 硬式テニス部は、學校一、練習が厳しかつたのです。だから、みんな學問との両立に惱みました。なんせ、縣下第二位の進學校です。
辞めていく人間續出です。これも「絶對にインターハイに出場する」といふ私のわがままが、そのまま、部の運営に出ていたからです。休みは、正月2日、中間・期末テストの各1週間前、大會が終わった次の日1日。たまに、惡天候のとき(惡天候のときでも、トレーニングをやつてゐた)。
部活が終はるのが、だいたい20時。今なら、父兄が許さないでせうね。完全に勞働基準法(?)違反です(笑)。でも、私たちのやうな、指導者もいない、豫算もない、設備もない・・・髙校が、インターハイに出場するためには、自分の軆體と、ハートを他校より何倍も使ふしかないのです。
それは理屈ではない。でも、部員全員のニーズでもウォンツでもない。
随分と恨まれたでせうね。それでも、インターハイに行くと決めた。そして、行った。
その理不尽さはなんでせう。企業現場で、敗戰後の廃頽した教育の結果、人が弱くなる中で、その理不尽さが通用しにくくなつてゐます。世の中全體が、「弱くてもいいぢやないか。良い子なら」といふ風潮にある中、企業現場で強い組織を創造していくといふ相矛盾することを實現するためには、どうすればいいのか。
それを、このテニス部日誌を書きながら自問自答します。もしかしたら、この年になって、もう一度、私がキャプテンシーを發揮しなければならないのかもしれません。
さて、今囘の日誌の中で、ラインを引かなかつたことで先輩に怒られたとあります。覺へてゐます。これ、一年生を横一列に並べて、私がびんたを張りまくつたのです。今なら、出場停止です。
我が部では、下級生に對するいじめはありませんでした。でも、このころの體育會といふのは、「秩序維持」は絶對でした。もちろん私たちも先輩からやられました。それでどうのこうのくだらない考へを持つことはありませんでした。今は、かう考へてはダメなんですよね(笑)。
母は、医師のファースト・オピニオンのミスによつて殺されたようなものです。病氣の原因は他にあつたのですが、この經過の中でさらに惡化していきました。
「このままでは死んでしまふ」といふときに、母は父に、「故郷、福岡で治療したい」と申し出ます。(おそらく)離婚も視野に入れて(本当の原因はそこにあったから。父ではないですよ)。同居していた祖母がびつくりしました。もちろん反對です。そのシーンは覺へてゐます。その時の父の言葉が「家族や子供たちと離れて生活するといふことは自分には考へられない」でした。
父はとても厳しい人でした。私よりも公を大切にする人でした。臺風が來ると(昔の家はみんなさうだつたが)、雨戸に板を打ち付け、雨戸が飛ばないやうにします。たいていの家はそれは、父親の仕事でした。でも我が家は、父が「會社が心配だ」と會社に行つてしまひます。我が家では、祖母と母がやつてゐました。 子供に對しても、子供たちが「自分たちは父から嫌われてゐるのか」と思ふぐらいでした。それに私は父と遊んでもらつた經驗がほとんどありません(當時は當たり前のことだが)。
でも、そんな父が家族を愛してゐることを實感したことが2度ありました。
何歳の時かなあ、7歳ぐらい? 父の横で寢てゐるとき、父が寢てゐる私の方に向きを變へました。寢つけなくて寢たふりをしてゐた私は、「まだ寢てないのか!と、怒られる」と、必死に、さらに寢たふりをしました。すると、父が私の頭をなでてくれました(父は私が寢てゐると思つてゐる)。「えっ?父さんは、僕のことが嫌いじゃないんだ」ととてもうれしくなりました。
この時と、そして、母の時に家族に對する愛情を感じた時がその2度です。
百三十歳まで生きる。さう公言してはばからなかつた父が、先日、體調を崩したとき、「もうだめかもしれない」といふ弱音をはきました。初めて聞きました。今は、父が、私及び親族に、手紙を書きまくつてゐます。この命の手紙をブログで遺します(残しますではない)。
昨日の續きです。
吉田松陰が好んで使つた、申しの言葉です。「本当に眞檢にやつていたら、どんな状況でも打開できるし、人は動く」といふ意味です。「しせいにしてうごかざるものいまだこれあらざるなり」です。
松陰は投獄されたときに600冊以上の本を讀みました。なんと他の囚人がそれに触發されて、本を讀み始めたさうです。昔の日本人にできたことが今の我々にできないはずはない。
くっそ~。今日はここまで。
今年九十歳になる私の父が、私に、渾身の力を込めて命がけで手紙を送ってきます。自分の人生の振り返りなどです。私にはどうすることもできませんが、それを遺していきます。私の知らない話ばかりで恥じ入ります。
まずは、母のことを。父は母をこんなにも愛していたのですね。
母はどんなく苦しくてもいつも笑顔でした。それだけは引き繼げてゐます。結婚したばかりの時、嫁さんが、言いました。「あんなに苦しい病氣なのに、なぜ、あんなに笑顔なの?なぜ、あんなに人にやさしくできるの?なぜあんなに文句も言わずに生活できるの?」と。
古代支那の兵法に「離間の計」といふものがあります。要は敵國の分斷を図り、相手を弱體化させるといふものです。孫子の兵法にもあるように、「兵は詭道なり(戰ひとは騙しあいである)」です。實際に武力での戰爭をするとなると、國力の消耗は著しく、下手をすれば國が潰れかねません。なので、普段は、諜報で相手を弱めろといふことです。そのためには女でも金でもふんだんに使います。戰爭をするより安いものです。
今、組織犯罪防止法改正案(テロ等準備罪)で、左翼勢力が世論を煽つてゐます。居酒屋で上司の惡口を言つてもダメだ~と叫んでいます。スパイ防止法さへ成立させることができない我が國。つまり、國を弱體化させることを選んでゐることになります。我が國が弱體化して一番喜ぶのは支那です(まだたくさんありますが)。といふことは、反對してゐる、朝日新聞をはじめとするメディアや、政治家などは、支那から金をもらつて支那がしかける我が國への離間の計に手を貸してゐるとしか考へられません。
私が野党なら、かう叫びます。「そんな甘い法案で、國が護れるのか」と。
教育勅語がなんだつて? 國會で廃止されてゐるからどうとかこうとか。情けない、こんなレベルの低さです。では、ノータリン國會議員に教えてあげやう。勅語はなにか。
天皇陛下の御言葉です。臣民に對しての意思表示です。かつての日本はすごい。強制力も何もない陛下の御言葉が自分たちが生きる意志になつたのです。
國會で、陛下の御言葉をいちいち承認したり取り消したりするのかい。國會にそんな權限はありません。そして、あれは占領下で行はれたことです。
維新の会の馬場なんとかもひどい。勅語を認めるけれど、今風の言葉にアレンジ・・・・。
こんなのが國會議員をやつていていいのか。投票したやつらは一體だれだ。
井上毅(こわし)がどれだけの國體研究をして教育勅語を創り上げたかを全く知りません。
今、我が國は、國家安全保障上の危機が迫つてゐます。
今日は、寺田譲君です。入部時に何か藝をやれ、と私(?だつけな)から命じられて、應援團の眞似をして、「つばめがえし~」とみんなの前でやりました。急にやつたのでみんな爆笑。それでついたあだ名が「つばめ」です。
今は、七十二候 清明(せいめい) 初候 玄鳥至(つばめきたる)です。
清明とは、萬物が清らかで生き生きした様子を表した「清浄明潔」といふ言葉を譯した季語です。花が咲き、蝶が舞ひ、空は清く澄み渡り、爽やかな風が吹く頃です。
ブログを立て直さないと。どのシリーズをどれだけ書いていたを整理しないと。日誌も復活させないと。何をやってんだか。でも、今年は、いろいろ整理していく年です。整理とは、切り捨てること。その動きは取りつつあります。
讀賣新聞はどうしてしまつたのだらうか??? 日本經濟新聞が面白くなくなつたのは、今にこしたことではありませんが、讀賣がとんでもないことになつてゐますね。記事を淡々と正確に報道するならそれでもよし。
でもそれもなし。主張は中途半端。讀む必要がない記事ばかり。眺めるだけなら5分でおつりがきます。私が文句を云ふぐらい頑張った記事をお願いします。新聞のレベルが低いとつまらないよ~。
公明党が小池さんにすり寄ってゐます。いいですね~。まだ自民党には自民党だけで選擧に勝つ力はありません。自民党は近代政党ではありません。近代政党とは、綱領に基づき政策を遂行し、そして、綱領を訴えることで議員を當選させる党です。良いとか悪いとかは別にして、近代政党は共産党と公明党だけです。
でも、公明党とこれ以上組んでいてよいことなど何もありません。國民にとつてです。