至誠而不動者未之有也(皇紀弐千六百七十六年四月七日 四)

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 吉田松陰が好んで使つた、申しの言葉です。「本当に眞檢にやつていたら、どんな状況でも打開できるし、人は動く」といふ意味です。「しせいにしてうごかざるものいまだこれあらざるなり」です。

 松陰は投獄されたときに600冊以上の本を讀みました。なんと他の囚人がそれに触發されて、本を讀み始めたさうです。昔の日本人にできたことが今の我々にできないはずはない。

 くっそ~。今日はここまで。

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このページは、宝徳 健が2017年4月 7日 16:52に書いたブログ記事です。

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