灌佛會(皇紀弐千六百七十七年四月八日 四)

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 ああ、この充實感。夜、早く寝て、朝の時間を有効に使ふ。こんなことはわかっていたのに、最近、心がさぼってゐました。

 論語に「七十にして心の慾する所に従つてて矩(のり)を踰(こ)えず」とあります。よかつたまだ間に合ふ(笑)。自分の思うままに動いても、人の道を外れないと云ふ意味です。

 今日は、釈尊の誕生日ですね。
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 灌佛會(かんぶつえ)と云ひます。花まつりとも云ひます。

 傳説では、釈尊は生まれてすぐに七歩進み、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我獨尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」と宣言したと言はれてゐます。

 かういふことをいふとすぐに「そんなことありえない」と云ふ人がたくさんいます。いいのです。では、カトリック教會主義に「マリアなんかいるわけがないではないか」と言ってみてください。喧嘩どころか戰爭になりますよ。眞實と眞理は違ふのです。

 釈尊のこの言葉は「人は誰もが、かけがえのない命を生きてゐる」といふ、佛教のもつ人間尊重の精神を端的にあらはしてゐます。またこの時に、釈尊の誕生を祝つた龍王が甘露の雨を降らせたとも傳へられてゐます。
 
 なので、今日は、多くのお寺で、花まつりが行はれます。ルンビニー園の誕生の樣子を表した「花御堂(はなみどう)」を飾り、その中央には天地を指差した釈尊誕生の姿を安置し、甘露の雨を模した甘茶をかけ、華やかに祝ひます。


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このページは、宝徳 健が2017年4月 8日 03:56に書いたブログ記事です。

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