和歌と國造り 1(皇紀弐千六百七十七年四月二十二日 四)

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 我が國近現代史において、明治天皇が最高のリーダーであることは異論の餘地がありません。あの激動の時代、我が國存亡の危機を、シラスといふ我が國の國體を貫き通しながら、乘り切られました。

 あっ、そうだ。私たちが學校で、習つた、嘘をひとつ。

 「君臨すれども統治せず」ではなく「統治すれども支配せず」です。これの意味がわかつたら、我が國の國體のことが理解できるやうになります。追々、説明しますね。

 それと、もうひとつの嘘。政教分離といはれますが、これは、歐州のことばで我が國は關係ありません。 カトリック・教會主義があまりにもひどかつたので、カトリック教會主義から政治を奪はう(かつては、國は教會の下にあつた)としました。それには一度絶對主義を経る必要がありました。

 激しい戰ひの末、政治は教會から離れました。「政治」と「教會」を分離することが、政教分離です。

 靖國参拝がどうのこうのと言ってゐる發言のおかしさがわかりますね。

 あ~ん、明治天皇の御製(天皇の和歌)を書こうと思つたのに前置きが長くなつた~。

 今の政治家は和歌が詠めません。そんなもの必要ないと仰るでせうが、明治天皇は生涯で10万首以上の和歌を詠まれました。それがいかに大切か。

 そして、我が國が過去、どのように和歌とともに国造りをしてきたかをシリーズで解説しませう。

 まずは大化の改新。
 皇祖皇宗以來、時の天皇陛下(以下、天子樣)は、何度か國體であるシラスの危機を乘り切ってこられました。

 シラスとは統治です。ウシハクとは支配です。統治とは、國民を我が寳と思ひ、すべて國民の幸せのために生きる統治方法です。人間社會で、我が日本でしかできませんでした。

 なので、「君臨すれども統治せず」などといふアホな言葉は出てきません。ただ、お飾りのやうに座っていて、あとは、愚かな政治家にまかせるという意味になりますからね。

 「統治すれども支配せず」は、「ウシハクではなくシラスの國體である」といふ意味です。

 その證拠が、「公地公民」です。我が國では、これは當たり前のこととして受け止められてゐますが、歐米や支那やロシアでは「私地私民」です。土地も物資も、その土地の支配者の者です。民は、支配者の奴隷です。

 大東亞戰爭が、アメリカの不埒な人後殺しによつてをはりました。アメリカ人は、必死になって我が國の奴隷の實態を調査しました。でも、どこにも奴隷などゐません。「公地公民」だからです。

 我が國の歴史上、公地公民の最大の危機がありました。力をつけすぎた 豪族 蘇我氏が皇室に壓力を加えまくつていた時代です。

 その豪族社會(ウシハク)から、律令制國家(シラス)へと引き戻したのが大化の改新です(645年)。

 かういふことを學校でしつかりと教へなければなりません。まあ、もつとも、今の教師では教えられないでせうが。

 この公地公民の原理に立つ國家組織への轉換は、決してスムーズに行はれたのではありません。

 そして、その政治的激動の中でも、素晴らしい和歌が残つてゐます。シリーズでそれを學習してまいります。

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このページは、宝徳 健が2017年4月22日 01:56に書いたブログ記事です。

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