命の手紙 9(皇紀弐千六百七十七年四月二十六日 弐)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 父は、朝鮮時代の友達とかなり行き来をしてゐました。あるとき、朝鮮の友人が日本で手術をした知己もかなり面倒をみてゐました。私も、たくさん献血をしてゐたので(日本赤十字特別社員)、献血手帳を渡しました。

 激動の時代を生き抜いた人たち。日本がどうのとか關係ありません。
 彼は北朝鮮から脱出してきた170人の同窓会の会長。宝徳は日本に帰ってきた同窓会の会長と役者が揃う。

 ただ、後でわかったのだが、宝徳は北朝鮮とのつながりはないのか、と彼らは懸命に調べたらしい。そういえば「いま母校はどうなっているだろうな」との、向こう(北朝鮮)との接触がないとわからないような誘導尋問?的な質問があったりした。疑い晴れて彼らとの交流がはじまった。

 いま、クアラルンプールでの暗殺が報じられているが、彼らの対北朝鮮との緊張感は想像を絶するものがあることを知った。

 韓国人が日本に来て北朝鮮系の焼き肉屋で食事をしたりすると、帰国後3か月は公安関係の取り調べを受けるハメになると言っていた。韓国の公安が絶えず北の動向を見張っているのだという。 つづく

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6794

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2017年4月27日 10:03に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「福岡髙校テニス部日誌 S(皇紀弐千六百七十七年四月二十七日)」です。

次のブログ記事は「徒然なるままに(皇紀弐千六百七十七年四月二十七日 參)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。