今年の七月一日で九十歳になる父は、いまだに、小學校とか軍隊時代の同窓會をやっています。來る同窓生もよく生き残つてゐるものです(失礼:笑)。
日韓合同同窓會の話です。
日韓合同同窓會の話です。
姜豪(きょうごう)は中のいい友達だった。部下二人を伴い米国視察をした帰路、日本に寄ってくれたが、「日本人の家で遊びに行ったのは君の家だけだった」と抱きついて涙していた。
それ以降、私の知らない同窓生が韓国から訪ねてくるようになった。「日本に行ったら必ず宝徳に会えとMr姜から言われている」といって、外国から来た友からご馳走になった。彼らはミスター姜と言っていた。
彼は韓国、私は日本の会長。医師は通じるので、京城(ソウル)で日韓合同同窓会を開催した(韓国で開催したので「韓日合同同窓会と名付けた」)が、姜豪は脊椎カリエスで欠席した。彼がいな会合には来なければよかったと思いながら、金浦空港を出ようとしたら出口に彼が立っているではないか。「」宝徳君がくるのになあ」と・・・・。 つづく
それ以降、私の知らない同窓生が韓国から訪ねてくるようになった。「日本に行ったら必ず宝徳に会えとMr姜から言われている」といって、外国から来た友からご馳走になった。彼らはミスター姜と言っていた。
彼は韓国、私は日本の会長。医師は通じるので、京城(ソウル)で日韓合同同窓会を開催した(韓国で開催したので「韓日合同同窓会と名付けた」)が、姜豪は脊椎カリエスで欠席した。彼がいな会合には来なければよかったと思いながら、金浦空港を出ようとしたら出口に彼が立っているではないか。「」宝徳君がくるのになあ」と・・・・。 つづく
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