冷暖自知(皇紀弐千六百七十七年四月二十八日 參)

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 昨日一人で狂喜乱舞していた本です。まだ手に入っていませんが寫眞がありましたので。



 出光興産㈱が出している本です。非売品なのですが、中古本市場では絶大なる人氣を誇ります。

 長い間、しょっちゅう古本市場をチェックしていたのですが、いつも、品切れ。昨日、たまたま、みたら「第二集と第三集があった!!!!!」 すぐに買いました。私が賈つたとたん中古市場でも品切れです。
 
 「冷暖自知」が第一集です。これを手に入れるのは至難の業です。まず中古市場でも手に入りません。どうやつて手にいれたかですって? ふっふっふ~、内緒内緒(笑)。

 ああ、たまらない。一生の寳物を手に入れた氣分です。

 冷暖自知とは。
 禪の言葉です。

 禪では「冷暖自知」といい、物事は教えるよりは自ら悟らせることを主眼とし、修行者がどんなに願っても頼んでも、冷酷なまでに教えることを拒み、冷暖自知の迷路に追い込むそうです。

 かつての「出光の社員教育方針」です。嚴しかつた。でも、暖かかつた。


 今、これをやつたらパワハラですね(笑)。本當のパワハラはいけませんが、愛情を以た強い指導は生きるために絶對に必要です。だから、今の、パワハラの概念は人を育てるためには間違つてゐるとリスクを冒して斷言しませう!

 將棋の世界では、師匠が「一局教えてやろう」というのは見込みがないから破門するということなのださうです。

 また、米海軍に
 

   "The captain bites his tongue until it bleeds"
   (艦長は血の出るまで舌を噛む)という言葉があるさうです。アングロソンもたまにはよいことを云ひます。

 馴れない部下はへたくそでなかなか思うように舵が切れないので、艦長はつい口を出して教えたくなる。しかしここで教えたのでは部下のためにならない。ほんとに操舵法を身につけるには、失敗をしながら學んでゆくしかない。そう思つて艦長は口をつぐんでジッとがまんしているという状態を言ったものだそうで、若い社員のミスやもたつきを、舌を噛んでジッとがまんして黙つて見まもり、自ら體得することを氣長に待つのが最良の社員教育だというのだそうです。

 まさに冷暖自知、「証の得否は、修せんものおのづからしらんこと、用水の人の、冷暖をみづからわきまふるがごとし」(『正法眼蔵・弁道話』)という禪の教育です。

 『論語』の開巻劈頭(へきとう)にも「学びて而して時に之を習う。亦説(よろこ)ばしからずやとある。学んだことを自主的に自発的に反復して自分のものとし、それを生かすことによって人間は成長することができるのであって、そこが人間のよろこびだということです。


 今は、なんでこんな眞の人間教育から離れて行った時代になつてしまつたのでせう。なつてしまつたのではありませんね。國民が望んだ結果です。妙に小賢しい人間が重宝される世の中にしてはだめです。

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このページは、宝徳 健が2017年4月28日 07:43に書いたブログ記事です。

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