日本語の學習(皇紀弐千六百七十七年四月二十八日 四)

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 今日は和歌はなし。參考にしてゐる本が・・・あれっ? あれって? これもなかなか手に入らない和歌の本です。毎日十冊以上本を持ち歩いてゐるから、本が怒ったかな?

 三島由紀夫の分學的遺書である「小説とは何か」で正しい日本語を學習してゐます。

 ちなみに、先日、「すめらぎ」と「すめらみこと」の違ひを書きました。今上天皇陛下が「すめらみこと」です。では、三種の神器は? 「すめらぎ」です。三島は、今上天皇陛下と三種の神器の両方に危機がおとづれたとき、日本人としてどちらを護らなければならないかといふ問ひに、きつぱりと「三種の神器」といつてゐます。

 それが、「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」の天壌無窮であり、「すめらぎ」なのです。決して、天皇のために死ねなどといふことを言つてゐません。そんなことを言つてゐたら、何千年も歴史が連續するはずがありません。
 それはあたかも、(私はわざと技術と藝術を混同して言つてゐるのだが)、宇宙飛行士たるべき才能の人間が、十五世紀にもたくさん生まれてゐたと主張するやうなものである。かう考へただけで、職業的作家の持つ転職の意識が、いかに根據の薄弱なものかがわからう。

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このページは、宝徳 健が2017年4月28日 08:17に書いたブログ記事です。

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