命の手紙 11(皇紀弐千六百七十七年四月二十九日 弐)

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 私にも朝鮮人(決して差別用語ではない)の友人がゐます。自國について、かなり過激なことを云ひます。「おいおい、大丈夫か、そんなことを言って」。「宝徳、これが眞實なんだ。ただ、自國では云へないんだ」と云ひます。

 朝鮮人は、朝鮮の正しい歴史を知る必要があります。そして、朝鮮が一番幸福だつたのが、日本統治の時代であることも。それを知つてゐる朝鮮人が私たちの想像以上に多く、でも、それを云ふと抹殺されることも。まあ、私たち日本人も、自分の歴史を學習しないと云ふ悲しい世界もありますが。昭和の日なんて言つてゐるんですものね。新嘗祭を勤労感謝の日などと言つてゐるんですものね。三大神勅もしらいんですものね。

 さて、親父と姜豪さんの話の續きです。この時代の男たちは、なんでこんなに格好いいのか。くやしい!!! 本当の男に、本当の日本人になりたい!
 同窓会を欠席した彼は、連日(4日間)会長専用車(彼は年商500億ウォンの会社を経営)を運転手付で貸してくれた。最後の日は韓国の宮廷料理をご馳走になった。

 帰る日の朝「いま車を差し向けたからな」「元気でな」と電話があり、帰宅後「いま着いた。いろいろありがとう」と話したのが最後の言葉となった。3か月後彼は逝く。

 当時は、成田→金浦の直通便はなかなか航空券が取れなかったので、成田→福岡→金浦(ソウル)と辿った。

 秋武舜一(私の母の兄 親父の大親友)とは同じ便で、ホテルも同室だった。明洞(みょんどんん)という繁華街があった。ここは当時もにぎわった明治通りだ。

 「京城(けいじょう)駅だ。行こう」と言った。秋武が半信半疑でついてきたが、ちゃんと、昔のままの赤煉瓦の京城駅があった。

 オレはハングルが読める。NHKテレビで勉強したと言ったら、彼は、俺も勉強しようと言ったが、どうなったか・・・。

 感動の同窓会の話は、まだまだ續きます。

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このページは、宝徳 健が2017年4月29日 07:01に書いたブログ記事です。

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