教育に關する勅語 2(皇紀弐千六百七十六年四月三十日)

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 東北地方・太平洋沖地震の際、我が國國民は、我が國の素晴らしさを世界に示しました。あの究極の状況の中で、整然と並び、他人を気遣ふ姿に世界は驚嘆しました。震災の翌朝、新宿駅では、歸宅困難者が階段に座つて電車が動き出すのを待つてゐました。その中で、誰も呼びかけていないのに、通路の眞ん中だけは人が通れるように空いてゐました。
 

 計画停電が實施されたとき、電車の本數が削減されたこともあり、東京のどの駅も乗客が入りきれない大混雑になりましたが、人々は文句を言ふこともなく、駅員の指示に從ひ、整然と行列をつくつて待つてゐました。

 それを見たあるドイツ人が「日本人はアーミーか」と叫んだそうです。軍隊でしか考えられないような規律正しさを、我が國國民は示したのです。

 

アメリカCNNテレビ

 住民たちは冷静で、自助努力と他者との調和を保ちながら礼儀を守っている。(ハリケーン被害に遭ったニューオーリンズの略奪行為と比較しながら)そんな動きはショックを受けるほど皆無だ。

 

支那 新華社通信

 信号機が停電し、交差点に警察官も立っていないのに、ドライバーはお互いに譲り合い、混乱はまったくない。(被災者が順番を守り、列を作って少ない食物を平等に分配し、しかも全員が感謝の意を表していることに)われわれ中国人は、モラル、道徳心の面ではまだまだ日本には遠く及ばない。被災した日本人に学ばねばならない。

 

 福島第一原発では、自衛隊員・消防隊員・警察官・東京電力社員等が、現場に赴き、命を懸けた原発対応、わが身の危険を顧みない行方不明者の捜索・救助にあたりました。

 自衛隊が福島第一原發での放水作戦に出動が決まつた時、「これはいはば覚悟の作戰だ。強制はしない。行ける者は一晩じつくり考へて自分の氣持ちを固めてほしい」と述べた上官の言葉に対して、全員が躊躇なく「自分が行きます」と答へたさうです。そればかりか、年配者は若者には行かせまいとし、若者は家族がある年配者より自分が先に行かうとしました。だめ、このことを書くたびに涙が出てきます。

 勤務先から直接、福島第一原發へ行くように出動命令が下つたある消防レスキュー隊の隊長が、家族に対して「必ず歸つて来るから、それまで安心して待つていてほしい」とメールをしたところ、奧様から「家族のことは心配なさらず、日本の救世主になつてください」というメールが返つて來たさうです。

 この、いざというときに、自己を省みず公のために任務を遂行する我が國國民の姿勢こそ、日本人のDNAなのです。

一旦緩急アレハ、義勇公ニ奉シ(いったんかんきゅうあれば、ぎゆうこう にほうじ)

 

 教育勅語のこの言葉が日本人のDNAを創つてゐます。

 自衛隊や警察官や消防隊だけではありません。宮城県南三陸町職員で防災担当當をしてゐた遠藤未希さんは、最後まで「みなさん、津濤が來ます。逃げてください」という放送を續け、最後に津濤にのまれて亡くなりました。

 私はこの話を聞いて、大東亞戰爭末期の、不埒なソ連の条約破りの侵攻のことを思い出しました。樺太 眞岡郵便局の電話交換手をしていた娘さんたちが、最後までソ連侵攻の状況を流し續け、最後は、「これが最後です。みなさん、さようなら、さようなら」と言つて自決していきました。

 不埒な日教組による過った戰後教育により、我が國及び國民の心は、かなり疲弊しました。しかし、いざとなると違います。日本人としてのDNAがちゃんと残っています。

 この日本人のDNAを創った十七条憲法と教育勅語とはどのようなものなのでしょうか。

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このページは、宝徳 健が2017年4月30日 10:19に書いたブログ記事です。

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