樺太に 命を捨てし たおやめの 心思へば 胸せまりくる(昭和天皇御製)
樺太に つゆと消えたる おとめらの みたまやすかれと ただいのりぬる(香淳皇后陛下御歌)
今日の教育勅語2で書きました樺太眞岡郵便局の乙女たちのことを讀まれた昭和天皇陛下の御製と香淳皇后陛下の御歌です。全く昔の日本人は、庶民一人一人にさえ、ドラマを創る力がありました。教育の成果ですね。早く、憲法と教育を變へなければ我が國は大變なことになります。
國語も同じ。陰謀によつて作られた現代仮名遣いと當用漢字を「言葉の進歩」と云ふめまいがするやうな國民がたくさんゐます。
三島由紀夫の文學的遺書である「小説とは何か」を題材に、正しい日本語を學習してゐます。
それよりもかう考へたはうが自然である。すなはち常凡な人間がここに生まれて、先天的原因か後天的原因かわからぬが、何ものかが彼の全存在の軌道を或る方向へ一寸曲げる。するとその曲つた方向に、たまたま現代では小説といふものがあつて、そこへ彼の人生がすつぽりはまつてしまつた、といふ考へである。彼は自ら意圖を裏切つて、人との快適な罠にはまつたのである。その罠が現代ではたまたま小説と呼ばれるものだつたのだ。
コメントする