福岡髙校テニス部日誌 S(皇紀弐千六百七十七年五月一日)

| コメント(0) | トラックバック(0)
 今日は、メーデーですね(笑)。もう、メーデーなんて云ふひとがゐるんだらうか?

 今囘の日誌は寺田君です。

 髙校スポーツといふのは指導者が必要です。練習したことの實践での活かし方、軆體の作り方、練習のペース配分。中期目標とそれに基づいた練習計画、そして、何よりも、メンタル面での指導。それを私たちは、全部自分でやらなければなりませんでした。いや、できていませんでした。顧問はまず部活で我々と接したことはありません。大會のときに、少し顔を見せるだけです。別に恨んではゐません。

 「たら」「れば」はいけませんが、中垣、山口といふ抜群の運動神經を持つたレギュラー、豊富な練習量、誰にも負けない根性・・・・、もし、指導者がいれば・・・・。と思ふことがあります。でも、それは今、思ふことで、當時はそんなことは考へもしませんでした。ただ「インターハイに行く(行きたいではない)」と云ふ決意のみが私たちを支えてゐました。

 でも、この部誌をみていただいてわかると思ひますが、堅苦しさはありません。ボールの數だって、數へてゐないことのはうが多い(笑)。いいんです。完璧はだめ。續かないから。そして、何より、モチベーションに結びつきません。 さあ、今日は寺田君。

 岡ひろみとは、當時はやつた「エースをねらえ」といふ漫画の主人公です。當時のテニスと今のテニスでは、別のスポーツと思はれるぐらい内容が違ひます。デカラケになつたからです。

 でも、エースをねらへは、今讀んでも思おしろい。

 四十一年前の昭和五十一年です。
11月7日 日曜日 ☁ 寺田

ボールの数  いっぱい

練習
ストローク(BOTH 2&1)
2:1   (    〃    )
振り回し(1年の1部)
スマッシュ(2年&ヤッコ)
ダブルスの練習(1年主体)
トレーニング

欠席者
2年 埜田さん、磯野さん、尾上さん、前田さん
1年 野又

感想
 この寺田君が"つばま"のごとくさっそうと登場して1ヶ月がたった、なんと本当に長い1ヶ月であった。しかし、寺田君はまだ燃えているのだ。"岡ひろみ"のごとく。つばめは燃えて火の鳥になるのだ!そして焼き鳥になって食べられてしまうのだ。なんのこっちゃ。

 しかし、それにしても今日の練習のきつかったこと。燃えている寺田君にもこたえたが。これではいけない。つばめが燃えてまるこげになってしまう。

 しかしやっぱりきつかった。特にあの振り廻し。地獄の3分間。玉だしするのと走り回るのとでは天と地ではないか。寺田君も早く2年生になって楽しみたい。

 それからクリスマス会は絶対にやった方がいい。クリスマス会だけでなくて忘年会、新年会、追い出し会、お誕生会、お楽しみ会もした方がいい。

 ついにJapan Openが終わった。しかしヒジョーに残念な大会だった。なぜなら寺田君が出場をけっとばひたからだ。このことは朝日新聞にも『日本テニス界の悲劇』と載っていた。
ワ~~~~ ジョーダン!! 終わり

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/6810

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2017年5月 1日 01:48に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「永世中立國スイスと集團的自衞權(皇紀弐千六百七十七年四月三十日 七)」です。

次のブログ記事は「命の手紙 13(皇紀弐千六百七十七年五月一日 弐)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。